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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)7356号 判決

原告(脱退) 丸紅飯田株式会社

当事者参加人 新義産業株式会社

被告 味の素株式会社

主文

参加人の主張中、高島屋飯田株式会社、被告会社間において、昭和二六年三月六日別紙目録第一記載の約旨の売買契約、同月八日同目録第二記載の約旨の売買契約が成立し、これが昭和二七年一月一〇日午後五時限り解除されたとの事実の存在を確認する。

事実

当事者参加訴訟代理人は、「(一)原告と参加人との間において、参加人が被告に対し金六六〇、二七四、七九八円二七銭の損害賠償債権及びうち金五七四、七八三、一四四円八〇銭に対する昭和二七年六月五日から完済まで、うち金八五、四九一、六五三円四七銭に対する昭和二八年二月七日から完済までの各年六分の割合による遅延損害金債権を有することを確認する。(二)被告は、参加人に対し金六六〇、二七四、七九八円二七銭及びうち金五七四、七八三、一四四円八〇銭に対する昭和二七年六月五日から完済まで、うち金八五、四九一、六五三円四七銭に対する昭和二八年二月七日から完済までの各年六分の割合による金員を支払え。(三)訴訟費用中、参加の申出により生じた部分は、原、被告の負担とする。」との判決並びに被告に対し金員の支払を求める部分につき担保を条件とする仮執行の宣言を求め、参加申出の理由並びにその請求の原因として、次のとおり述べた。

一、高島屋飯田株式会社(以下、高島屋飯田という。)、原告会社(旧商号丸紅株式会社)は、いずれも輸出入貿易を主な営業とする、いわゆる商事会社であるが、原告会社は、昭和三〇年九月一日高島屋飯田を吸収合併した。被告会社は、製油その他化学薬品の製造販売を業とする会社であり、参加人は、原告会社と同種営業を営む会社である。

二、高島屋飯田は、昭和二六年三月六日米国産黄色大豆二級品(以下、米国産大豆という。)を米国政府の輸出許可があることを条件として、次のような約束で被告会社に売り渡した。すなわち、「(一)数量九、〇〇〇キロトン積、二船分。たゞし、一〇%の増減は、売手勝手のこと。(二)船積いずれの国籍であるとを問わず、一満船によるセントローレンス積。積期、昭和二十六年四、五、六月中。(三)単価日本港CIF渡、毎キロトンにつき米ドル一六九ドル。(四)売手々数料 後日決定のこと。(五)重量、数量品質 米国内積地での証明書に基くこと。(六)代金支払条件 積荷の荷揚港における通関完了後、買手は、売手にあて直に東京都内を支払場所と定めた円建約束手形を振り出すこと。右約束手形の満期日は、積出人振出の輸入手形の決済のため、売手に対して与えられるユーザンス支払日の五日前と定めること。(七)包装 品物は撒荷で引渡すこと。(八)保険条件 一般海上保険上の特担分損不担保条件。若の附保可能であれば、戦争による危険は船積の際許容される条件で売手が附保すること。戦争、封鎖による危険に対する保険料が1/2%を上廻るとき、その超過分は買主の負担とすること。(別紙目録第一記載のとおり。)」というのであつた。そうして、右約束に基き、同日その日附で契約番号(高島屋飯田のもの。以下、同じ。)油五一号の英文契約書(乙第一号証の三)が作成された。(以下、右契約を指して、契約番号油五一号の契約という。)

ついで、同月八日高島屋飯田は、右同種大豆、数量九、〇〇〇キロトン積のもの一船分を数量につき一〇%の増減は、売手勝手とし、船積、国籍を問わず、一満船によるセントローレンス積、積期昭和二六年四、五、六、七月中、単価日本港CIF渡毎キロトンにつき一六五米ドル、手数料、重量、数量、品質、代金支払条件、包装、保険条件等はすべて前記同様の定め(別紙目録第二記載のとおり。)で被告会社に売り渡し、これに基き同年四月二日同日附で契約番号油五六号の英文契約書(丙第三号証)が作成された。(以下、右契約を指して、契約番号油五六号の契約という。)

高島屋飯田は、後に述べるように、右各売買契約の目的物件をドレイフアス東京支店を通じ、同社ニユーヨーク本店から買い受けたのであつたが、契約番号油五一号の物件は、昭和二六年七月一九日「シーポードエンタープライズ。」号積込で九、九五五キロトン八八六四九が横浜港に、同月二五日「ラ カンブル。」号積込で九、八七五キロトン〇二二が四日市港にそれぞれ到着し、また、契約番号油五六号の物件は、同年八月二十九日「アステリス。」号積込で九、八三八キロトン九二四九〇二が横浜港に到着したから、高島屋飯田は、いずれもそのころ右到着の旨を被告に通知するとともにその引取を求めたけれども、遂に被告はこれに応じなかつた。そこで、やむを得ず、高島屋飯田は、「シーポードエンタープライズ。」号積載分については同年七月二二日から鶴見倉庫ほか一〇ケ所に入庫、保管し、「ラ カンブル。」号積載分については、同年八月一日から四日市倉庫株式会社倉庫に入庫保管し、「アステリス。」号積載分については、同年九月一日から鈴江組川崎倉庫ほか六ケ所に入庫保管したうえ、その引取、代金の支払を求めたが、結局被告の応ずるところとならなかつたから、同社は、同年一二月三一日書面で被告会社に対し、昭和二七年一月一〇日午後五時までに右各物件と引き換えにその代金を支払うこと、若し、右催告期間中に右代金が支払われなかつたときは、前記各売買契約を解除する旨の条件附き契約解除の意思表示をし、これが昭和二七年一月四日到達したにもかかわらず、被告会社は、右代金を支払わなかつたので、前記売買契約は、同月一〇日午後五時の経過とゝもに解除された。

三、参加人は、高島屋飯田、被告会社間に右売買契約が成立したことを明らかにするため、まず、右売買の成立前後の時期における、輸入貿易の一般情勢、大豆輸入の事情国内市場での貿易商社と実需者との力関係、その輸入の方式並びに手続について述べる。

(一)  昭和二五年末から昭和二六年当時の輸入貿易の一般情勢について。

昭和二五年六月朝鮮事変が発生し、米国では国防生産の拡充を行い、その他各国とも軍備を拡張するに至つたゝめ、反面世界的に重要物資の買いあさりの状態を招来したのであつた。わが国でも、昭和二六年春ころに至るまで政府は、進んで備蓄輸入を奨励し、手続面においても、後述のように外貨資金の点でその統制を緩和し、潤沢、容易に民間貿易業者が外貨資金を入手できるよう措置したのであり、民間でも、右事情が反映して、貿易業者、実需者、一般消費者を含めて、できる限り多量の物資を購入、確保しようと努めたのは、自然の勢であつた。そうして、原料の不足も加わり、漸次海外の商品価格は、高騰するに至り、一般的には思惑輸入が行われたこともあつたのである。ところが、昭和二六年半ころから朝鮮の動乱も和平の気運が見え、従つて米国の国防生産も緩漫化したこと、他面、各国とも緊急輸入を行つた結果、ドル資金が不足したことのため、物価は、世界的に漸落し始め、わが国では、輸入滞貨の激増、代金決済の不能という現象が生れ大豆は勿論、原綿、原毛等皆然りであり、貿易商社中倒産する者もあい次いで出た。かような結果が発生したことはひとつには、当時貿易商社が、海外派遣員若しくは、駐在員を持つことができず、外商による経済的支配のもとに置かれていたことによるのであり、現在と対比して、めくら貿易との非難もほとんど避けえない立場に置かれていたことと貿易商社の取引額とその資本との比率が戦前に比べて極めて大きく従つて他人の資金に依存する度が大きかつたこと等も加算されたからであつた。

(二)  右当時における大豆輸入の事情

わが国の輸入大豆は敗戦后は専ら米国に依存しており、その買付は、いわゆるガリオア資金で行われていたが、当時の前記海外の一般状勢と、昭和二五年下期から昭和二六年上期にわたる国内大豆の絶対量の不足、すなわち、わが国の年間大豆需要量は約六〇〇、〇〇〇トンであるのに比べて、国産大豆量約二〇〇、〇〇〇トン、ガリオア資金による買付予定量約八〇〇〇〇トン程度で輸入の促進が極度に要望されていたところたまたま昭和二六年二月一二日米国において大豆につき最高価格制が施行されて、その最高価格が定められ、これを機として同月二二日からわが国において米国産大豆輸入につき自動承認制(Automatic Approval System A・A、制と略称される。その内容の詳細は後述する。)が採用され、買付資金の入手が容易ならしめられたのであつた。しかしながら米国において大豆につき最高価格制が施行されたことは、その価格が低廉であつたゝめ、かえつて米国内の買付を阻み、そのうえ、同年二月二〇日米国政府は、その国内輸出商に対して国外向け売却の申込(売却の申込を、売申込、買受の申込を買申込と以下略称する。)は一時中止すべき旨、ついで同年三月一日大豆を含めてすべての穀物類の輸出は、政府の許可を受けるべき旨――すなわち、穀物類についての輸出許可制の採用――の指示を発し、同時に物品の国内輸送につき国防輸送局を設置してその統制措置を講じた。かような措置は、いずれも当時の米国内における鉄道貨車の不足と輸出向け物品の積込港であるメキシコ湾ガルフ港の船舶のふくそうを緩和し、よつて同港からの軍事輸送の円滑をはかろうとしたものであつた。そこでわが国への大豆輸入は、ますます困難の度あいを加えたのであり、一般にガルフ港積出として定められた既存の契約は、実行されずに終るであろうとの予測が行われていたほどで、右期間、すなわち、同年二月二〇日から同年三月初旬までの間は、輸入商社及び実需者は、いわゆる外商からどのようにして大豆の確実な売申込を取るかの問題に悩み、努力を続けた。この事態は、実需者の買付意欲として表われる。当時、製油業者は、工場能力の最大限度の操業状態における必要原料の量の半ケ年ないし一ケ年分の買付を行い更に進んでは、たとえば、日綿実業の日華油脂に対し単価一キロトンにつき一七〇米ドルで売却したとか、豊年製油は、二級品大豆よりも数等粗悪品であるガリオア大豆数千トンを単価一五八米ドルで払い下げを受け、更に同社は、一日四〇、〇〇〇トンの買付をしているとかの風評が専らであつたほどで、実需者の買付の狂奔ぶりを知ることができる。そうして輸入承認申請は、殺到したわけであつたが、その申請量と国内大豆の需要量との対比上、同年三月一〇日自動承認制による大豆輸入承認申請の受付は停止されるに至り、ついで、翌四月初めころから大豆相場漸落のきざしが現れ、朝鮮動乱解決の見込等に基く前記物価の世界的下落に関する諸事情と国内において豊年製油が、油製品の投売りを始めたことにより大豆市場は、混乱して底を知らない暴落となり、大豆の輸入滞貨は、激増したのであつた。

(三)  貿易商社と実需者との力関係

(1)  昭和二六年自動承認制施行の前後ころから、その期間中を通じ、大豆の買付に最大の関心を払つたのは、貿易商社ではなく、実需者である製油業者であつた。それは、前項で述べたような輸入の狭あい、物価高騰の要因の反映として一般消費者において買い溜めが行われ、従つて実需者は、生産すればするほど、その利益を挙げうる異常な景気に乗つていたのである。前述の日華油脂、豊年製油等の買付の背後には、かような事情があつた。ところで、好況が右のとおり続いていたにしても、貿易商社は、それ丈で実需者買付けの寝付のない、いわゆる思惑輸入をはかることはできない。なるほど、実需者は、一般に原料の輸入、確保を商社に依存してはいた。しかし、商社は、自己資本で輸入、買付をはかるほどの購買能力を持つものでないことは、敗戦后財閥解体等によつて寸断された資力の乏しい商社の性質上、当然のことであり、しかも、買付物品の貯蔵のための倉庫設備は、持つていない。高額の倉庫料の負担を予定しながら、自己の危険と計算で輸入貿易をはかる商社は、どこにあろうか。従つて、当時の商社一般の大豆輸入は、当該商社からの実需者の買付の裏付けにより成立していたのであり、このことは、高島屋飯田において、殊にそうであつた他方、右のことがらを、利益計算の面から眺めれば、商社が輸入転売により受ける利益は、売買価格の〇・六ないし一%にとゞまるに反し、実需者のそれは、生産利益として右価格の二〇%のものに、更に価格の高騰があれば、その騰貴額が加わるのである。

商社と実需者との右のような相違から、右当時の大豆輸入につき思惑買いに走る根源は、実需者が持つていたのであり、事実、実需者は、思惑買いを行つたのであり、前述の輸入滞貨の増加は、実需者のかような買付の結果であつて商社において思惑輸入があつたことを物語るものではない。

(2)  つぎに、右当時、国内市場では、商社は一流実需者に対して著しく力の弱い立場に置かれていた。すなわち、商社相互間の競争は激烈なものがあり、獲得された得意さき関係を維持することに汲々としていた有りさまで、サービス第一主義が要請され、実需者の意に迎合しなければならなかつた。そのうえ、更に、輸入後は、商社の行う輸入は、後述のように、まず銀行資本に依存し、その融資を得てなされるものであるにもかかわらず、実需者との間での代金決済は、輸入品の到着、引渡のころに至るまでなされないのが原則である。従つて、輸入後、売買の目的物件につきクレームが発生したときは、そのことの当、不当を問わずに商社は、買手である実需者に対し円満に目的物を引き取つてもらうよう商談を進め、代金の支払を受けることに努めるほかなかつたのであつた。

(四)  右当時における大豆輸入の方式並びにその手続について。

(1)  輸入管理

国は輸入を規整するため輸入を国の承認にかゝらしめたのであり、その承認の方式には、当時外貨資金割当制と自動承認制があつた。閣僚審議会は外貨使用につき四半期ごとに外国為替予算を作成するのであるが、外貨資金割当制とは、右外国為替予算において外貨資金の割当を行うべきものと定められた品目の貨物の輸入は、通商産業大臣からその割当を受けた後でなければ、輸入の承認を受けることができないとするものであり、自動承認制は、右のような品目別の外貨資金予算はなく、予算においては、一定地域から輸入する商品と地域別の総金額とが定められるだけで、自動承認制の適用をうける品目に該当する商品であり、且つ全体の金額の範囲内のものであれば何回でも輸入承認申請をすることができ、しかも、その承認は、自動的に与えられるとされるものである。もつとも自動承認制のもとでは、輸入が一社により独占若しくは偏在するおそれがあるから、これを制限するために、一商社当りの商品別輸入限度が設定されていた。たとえば大豆については、その限度額は、一期間二〇〇〇、〇〇〇ドルとされていたのであり、従つて、この限度を超過して輸入承認を受けようとする者のため、限度外申請を認め、この場合、輸入承認を受けるにさきだち、通商産業大臣の事前許可を受けなければならないものと定められていたのである。そうして大豆については、昭和二五年一〇月から同年末まで外貨資金割当制を行うべきものと定められたことがあり、ついで、昭和二六年二月二二日から同年三月一〇日の受付停止に至るまで自動承認制が施行された。

(2)  輸入手続

輸入承認は、外国為替銀行が取り扱うものであり、その申請は、輸入保証金を添えて申請書を同銀行に提出してするものとされており、輸入承認を受けた者は、その後二〇日以内に信用状の開設を銀行に依頼する。しかし、右輸入承認申請に際し、その申請者は、たとえば、実需者の買約書実需者との売買契約書等、輸入貨物の国内での売りつなぎの存在を証明する文書を提出する義務はなく、実際上においてもこの種の文書の提出は要求されていなかつた。このことは、右限度外申請をするにあたつても同様であつた。もつとも、右銀行は、信用状を開設するにつき輸入承認申請者の売りつなぎの事実の有無を確認したこともあつたけれども、これとても、便宜、電話若しくは口頭でなされていたのであり、あらかじめ右のような文書をもつて証明せしめるなどとのことは、絶無であつた。要するに、輸入承認申請または、限度外申請をするには、前記行為で足りたのである。

四、輸入貨物の売買契約の成立について。

(1)  貿易取引右左の原則について。

商社は、外商からの売り、または、買申込を実需者若しくはメーカーにつなぎ、あるいは、その逆の行為をし、双方の売買契約を成立せしめるわけであるが、もともと、商社は、その間にあつて口銭をかせぐのが主目的であるので、契約による危険を回避することが要請される。

従つて、一方の契約条件は、そのまゝ他方の契約条件とし、これを完全に一致せしめるのが、望ましい。これを貿易取引右左の原則といゝ、実際の貿易取引での慣行であつた。

(2)  契約の成立時期。(一般の特定物の売買と異なる商慣習が存在するかどうかの点につき。)

貿易取引における価格の条件として、主なるものには、C・I・F価格、F・O・B価格、買手倉入価格等がある。C・I・F価格とは、貨物の原価に到着港までの運賃、海上保険料を含めた価格であり、シフ価格とも称されており、F・O・Bの価格とは、輸出港本船渡価格、すなわち、貨物原価に貨物を積載本船に積み込むまでに要する費用を加算したものであり、倉入価格とは、右C・I・F価格のほか、輸入港における関税、陸揚賃、買主の倉庫までの運搬賃をも含めた価格である。そうして、右のうち、C・I・F価格で取りきめがされるのが通常であり、買手倉入価格で売買―従つて、この場合受渡場所は、買手倉庫である―されるときでも、まず、C・I・F価格で定められ、その後関税、陸揚賃、買主の倉庫までの運搬賃が協議されて、倉入価格が定められるのである。

ところで、F・O・B価格による売買の場合は、詳述するまでもないから、これをおくことゝし、C・I・F売買、倉入価格による売買の場合を通じ、C・I・F価格につき協議がとゝのつたとき売買契約は、成立する。すなわち、貨物が日本港に到着後倉入れまでに要する費用及び口銭については、おゝよそ一定しているもので、これに関して紛議を招くおそれは、ほとんどなく、たとえこれにつき争が生じたとしても客観的に費用算定は可能なものであり、契約の履行になんらの妨げもない。従つて、貿易実務上右C・I・F価格が定まれば、価格に関する契約条件は満足されているものと取り扱われているのである。

そうして、右のすべてを通じて、口頭により意思表示の合致があつたとき成立する。貿易は、相場の変動に絶えず影響されるものであるから、簡易、迅速が尊重されるのであり、従つて、書面により最終的意思表示が確定されるなどとの方法は排除される。これを支えるものは、商社、実需者相互間の信頼関係である。その事情は、商社と外商間の関係でも同様である。

もつとも、契約成立後、契約内容を文書として相互に交換することはある。かような文書として、英文契約書と和文契約書とがあり、実務上、和文契約書だけが作成されるときもあれば、英文契約書が作成された後、これを基本として和文契約書が作成されるという段階的な場合もある。英文契約書は右C・I・F右価格または、これと同視すべき価格が決定し、その他の必要な契約条件につき合意があつた後作成されるものであり、和文契約書は、通常、前記倉入価格が円建てで表示されて作成されるものである。しかし、右各文書は、いずれも、これに先行して成立している契約の確認のためのもので、その文書の作成の有無、署名者の権限の有無は、契約の成否自体とは、無関係で、かように方式が自由である点で、一般の特定物に関する民法の原則と異なる商慣習があるわけでない。これは、前記昭和二五年から現在を通じて妥当することがらである。

(3)  商社、実需者が企業体であることによる申込、承諾の特殊性。

企業体である会社は、これを構成する者により行動するわけであり、その者の行為は、会社の意思を完全に表現しているべきはずで、これを前提として取引は成立しているのであるから、その者の行為の結果については、会社をして全責任を負わしめるという社会的、経済的強制が加えられるのである。実務上、第一線の取引は、課長または、それ以下の階級に属する者が担当し、内部的にその者の取り扱うべき事務の枠が課せられている。従つて、その枠内での担当者の行為は、たとえ、大量の貨物であり巨額の金額にのぼるものであるとしても、その売却または買付は、すなわち、会社自身のそれを物語るものである。

五、被告会社の国内市場における地位と本件発生に至るまでの経緯。

被告会社は、本業である「味の素。」のほか、大豆油等を製造販売し、多角経営を誇る国内一流のメーカーで、昭和二五年末から昭和二六年にわたる前述の好況に際し、他の実需者と同様大豆の買付に狂奔していた。

その買付担当者は、同会社営業部企画課員秋野享三であり、高島屋飯田は、昭和二六年初め右秋野を通じ初めて被告会社と次のような大豆売買契約を結んだ。

すなわち、同年二月初め高島屋飯田物資部次長近藤一雄、食糧課主任岡島康雄は、秋野と折衝の結果、同月六日同人から「(一)米国産大豆二級品九、〇〇〇トン、撒荷、数量一割増減は、売手勝手のこと。(二)積期二、三月積。(三)価格C・I・F日本沖着値段一トンにつき一五三ドル。たゞし、船腹が直に定まらないときは、F・O・B産地船渡値段一トンにつき保険料込み一三〇ドル。(四)運賃、諸掛別計算のこと。」という買付指図(通常ビツドと称される。)を受け、高島屋飯田は、同日これをドレイフアス東京支店につなぎ、翌七日同社からF・O・B一三〇ドルでその承諾を得たので、近藤は、同日その旨を秋野に伝え右売買契約は成立した。そうして、右契約の確認のため、翌八日英文契約書(高島屋飯田契約番号油四四号。乙第三号証の一)が作成され、同日被告会社常務取締役鈴木恭二の署名を得たのであり、貨物積込本船として「ジーン・L・D。」号が決定したので、その後前記(四)の(2) で述べたような和文契約書(乙第三号証の二)が同年三月七日作成された。ついで、同月二六日右本船は、出航し、同年四月三〇日これが横浜港に入港して、貨物の引渡をし、同年五月一二日ころその代金の支払を受けたのであつた。以上が、本件二個の売買契約にさきだち、高島屋飯田と被告会社間に成立し、その履行を終了した大豆売買契約の経過である。

しかも、被告会社は、右契約のほか、原告会社からも大量二口の大豆を買い付け、その引渡、代金の支払も終了していたほどで、その買付意欲は盛んで、高島屋飯田としては、被告会社の前記のような国内市場での地位を併せ考えて、将来にわたる継続的取引関係の持続を願い、いわば、被告会社一辺倒の建てまえを打ち出したのである。

六、本件二個の契約の成立の経緯。

(一)  契約番号油五一号について。

同年三月二日高島屋飯田の右近藤一雄は、ドレイフアス東京支店支配人黒川正雄から「米国産大豆二級品九、〇〇〇トン数量一割増減、一トン二二四〇ポンド、積地検査最終、セントローレンス四、五、六月積、一キロトンにつきC・I・F一六九ドル、門司、横浜間の一港掲げ、という条件であれば、取れるかも知れない。ワシントンの輸出許可の取得のため、一〇日間有効の買付指図を出すよう。」という申出を受けたので、近藤は、前述の契約成立の場合と同様、秋野にその旨を伝えたところ、同人は、直ちに右条件で一〇日間有効の買付指図を近藤に発し、近藤は、これに基きドレイフアス社にあて同様買付指図を発したが、ドレイフアス社から同月六日正午ころこれが受注を確認した旨の通知を受領したので、同日近藤は、その旨を秋野に伝え、ここに高島屋飯田、被告会社間に右売買契約が成立した。そうして、その契約確認のため、同日夕刻前記岡島康雄のほか、高島屋飯田食糧課員安井泰一郎の両名が被告会社において同社業務部副部長和田五郎の署名を英文契約書(乙第一号証の三)に受けたのであつた。そこで、右契約の特殊性について述べる。

(1)  積地セントローレンス積、積期四、五、六月積であること。前段三の(二)において述べたように、当時米国の輸出港であるメキシコ湾ガルフ港は、船舶輻奏のため、貨物積出は、セントローレンスとするほか道がなかつた事情にあり、積月が右のように長期にわたるのは、同所から船積する限り船腹獲得のために必要な期間として避けることができないものであつた。

(2)  C・I・F一六九ドルの価格について。なるほど、セントローレンス積の船舶による海上運賃は、ガルフ港積のものに比較して約五ドル高値である。しかし、同所船積のものとするほかない事情であつたことは、右に述べたとおりで、これを前提とする以上、右海上運賃のほか、国内輸送費を加えて、一六九ドルの価格は、決して不当な高値ではない。他方、三の(三)において一般論として詳述したように、被告会社の生産利益は、莫大なものがあるので、好況を前提とする以上は、右価格は、採算をとりえないほど、不合理な原料価格ではありえない。

(3)  従つて、秋野は、前述のように一〇日間有効の買付指図を発したのであり、その期間の時間的長さは、買付指図をしたこと自体を疑わしめるものではなく、右契約条件の優秀さ、すなわち、大豆入手の確実性に秋野が魅了されたことを物語るのである。

そうして、右契約の成立を前提として、右近藤一雄及び高島屋飯田専務取締役飯田俊季は、同月七日被告会社に赴き同社代表取締役道面豊信に対し右契約内容を説明し、同夜料亭「雪村」で右両社の交歓会が催され、被告会社側では、常務取締役鈴木恭二、業務部長佐伯武雄、前記和田、秋野らが出席したのであり、右契約の成立には一点の疑いも入れる余地がないのである。

(二)  契約番号油五六号について。

同月五日高島屋飯田は、ドレイフアス東京支店から「一キロトンにつき、C・I・F一六五ドル、九、〇〇〇トン積一船、数量一割増減積地検査最終、セントローレンス四、五、六、七月積。」という買付の依頼があつたので、高島屋飯田は、右契約条件で、同月一二日まで有効の買付指図を発したところ、右会社は、これを承諾し、同月七日その確認通知が高島屋飯田に到達した。そこで、同社は、翌八日右同旨の契約条件で秋野に売申込をしたのであつたが、同人は、即時にこれを承諾し、なお、船積期について、契約番号油五一号分とともに、毎月一船あて出航し、六、七、八月の各月ごとに一船が日本港に到着するよう依頼したのである。そうして、同年四月二日右契約確認のため、岡島、安井らは、被告会社に赴き、英文契約書(丙第三号証)に和田五郎の署名を受けた。

右契約の特殊性。

(1)  積込港、積期については、油五一号の場合と同様の事情である。

(2)  価格、C・I・F一六五ドルについて。この価格は、前回の油五一号分に比して安値であり、さればこそ高島屋飯田は、国内での買いつなぎを待たず、ドレイフアス社からの申出に応じたのであつた。右価格と定められたのは、ドレイフアス社の内部事情として、さきに、右契約と同数量の大豆を原告会社のために確保したところ、ドレイフアス社東京支店の手違いがあつたことにより、右両者間で契約が成立するに至らなかつたので、これを値引きのうえ、高島屋飯田に振り向けたという事情が介在したためである。右両個の契約を通じ、高島屋飯田は、四の(1) において述べた、いわゆる貿易取引右左の原則によつていたのであり、殊に、右(1) で述べた油五一号の契約分は、ドレイフアス社からの買付に先行して、被告会社からの買付指図を受けていたわけで、油五六号の契約分は、前述したように高島屋飯田は、当時被告会社一辺倒の建てまえをとつていたところ、その価格が格段に安く、被告会社引受の公算が大であつたことに裏打ちされていたから、まず、ドレイフアス社との間で売買を成立せしめたもので、いわゆる思惑輸入をはかつたものでないことは、多言を要しないところである。

七、ところで、右両件とも、英文契約書が作成されたが、遂に四の(2) で述べたような和文契約書が作成されなかつたので、まず、右英文契約書が真実右契約の証明文書であること、次に、和文契約書が作成されなかつた理由について、説明する。

(一)  英文契約書について。

本件英文契約書として被告会社に持参された文書は、油五一号分はオリジナル乙第一号証の一、デユプリケート同号証の二、トリプリケート同号証の三、すなわち第一、二、三の各正本三通で、うち第三正本が、乙一号証の三の契約書であり、油五六号分は右同様の三通すなわち、乙第二号証の一、二、三のほか、右のような表示のないもの一通で、この表示のない文書が丙第三号証の契約書である。そうして、右各文書は、持参の際には、前者については、飯田俊季の署名、後者については近藤一雄の署名がなされており、いずれも契約書原本となるべき性質のもので、従つて、これに被告会社の者の署名が加えられた、右乙第一号証の三丙第三号証は、そのいずれもが原本である。

ところで、右乙第一号証の三、丙第三号証の被告会社側の署名者は、業務部副部長和田五郎であることは、前述のとおりであるが、右契約書は、性質上既存契約の確認のためのものである以上、その署名者の会社代表権限の有無は、なんら問題とすべき余地はないので、右和田の署名で確認の目的を達している。

当時、輸入承認申請または、限度外申請をするに際し、国内での売りつなぎの事実を証明する文書を提出する法令上の義務または、事実上の慣行が存在せず、取引銀行に信用状の開設を依頼するについても、同様であつたことは、前段三の(四)の(2) の項で述べたとおりであり、従つて、高島屋飯田は、右契約書を使用して輸入承認を受けたこともなく、殊に、油五六号分については、丙第三号証の作成前である昭和二六年三月二二日富士銀行により信用状の開設がなされたのであつた。かようなわけで、高島屋飯田は、右両契約書を同社用契約書綴中に厳重に保管していたところ、後述のように、本件売買につき代金減額の申出を被告会社から受け、ついで、契約の成立自体を否認されたので、高島屋飯田は、極力解決に努力していた際、被告会社の秋野から事態の円満な解決のため、預からせてもらいたい旨を申し述べて、乙第一号証の三の契約書の預入を依頼され、かつ、同人が「必要のときは、いつでも返還する。」旨を約束したので、高島屋飯田は、右依頼に応じ、同年六月四日右契約書を秋野に交付した。ところで、本件紛争が世上にけん伝され、油五一号分についての信用状開設銀行である東京銀行支配人、日本銀行融資あつ旋部長らからあいついで契約書の呈示を求められたから、高島屋飯田は、右約束に基き秋野から同年七月二〇日、同月二七日の再度にわたり乙第一号証の三の返還を受け、右求めに応じたのである。そうして、前記事情に基き、右契約書は、秋野のもとに返還されたのであつたが、その後は、再三、再四その返還を求めたけれども、結局被告会社の応ずるところとはならず、現にこれは、同会社の手裡にある。事情、右のとおりで右契約書が高島屋飯田の手中にないことは、これについての前記署名の意味を失わせしめるものでなく、また、丙第三号証の契約書は、終始高島屋飯田の保管するところであつた。被告会社は、いやしくも、国内一流のメーカーであり、しかも、右両契約書表示の契約金額は、巨額にのぼるものであつてみれば、高島屋飯田をしてこれを利用せしめ、外国為替銀行をあざむき、輸入承認を与えさせ、または、信用状を開設せしめるなどとのことは、とりもなおさず、その信用を傷つけることに帰着し、また、被告会社に残置せしめたままの、乙第一号証の三、丙三号証のほかの前記英文契約書の各正本は逆に被告会社から本件売買契約の存在を主張し、その履行を求める証明文書となりうるものであるから、高島屋飯田の者において好んでこれらの文書を持参するわけがない。次に、丙第三号証の契約書の署名日附は、昭和二六年四月二日であり、その表示の、油五六号分の契約成立の日からへだたることが遠い。しかしながら、かような契約書の作成は、必ずしも契約の成立に随伴するものでないことは、さきに述べたとおりであり、従つて、また、契約の成立日と英文契約書の作成日との関係を規整する、なんらの商慣習もあるわけがない。殊に輸入手続中、重大なことがらは、輸入承認が与えられるかどうか、信用状開設がなされるかどうかの問題であり、当時、高島屋飯田は、被告会社を信頼していたからこそ、右英文契約書の作成を重視せず、時日を経過していたのである。かようなわけで、丙第三号証の英文契約書の作成日が、油五六号分の契約成立の日と時間的に近接していないことは、なんら怪しむに足りないところなのである。

(二)  和文契約書について。

和文契約書は、さきに述べたように倉入価格を円建てで表示するものであるから、貨物積込本船が定まつた後に当事者間で作成されるものであり、本件の場合、更にその前提として米国政府の輸出許可取得が存在する。そうして、本件両個の売買につき右許可は、昭和二六年四月二日なされついで、前記貨物積込本船が決定したので、高島屋飯田は、同年五月和文契約書の作成を被告会社に求めたところ、そのころ既に大豆相場漸落のきざしが現われていたので、同会社は、秋野を通じ右売買代金の減額を申し出、ついで、同年六月二日右売買契約の成立を否認するに至つたから、和文契約書は作成されるに至らなかつた。

前段四の(2) で述べたように、英文契約書は勿論、和文契約書の作成は、必ずしも契約の成立に随伴するものでなく、その文書の存否は、契約の成立自体となんらの関係もないものであるが、右当事者間で和文契約書により前記契約が確認されていない理由は、右のとおりで契約の存在を疑わしめる事情にはないのである。

八、契約成立後高島屋飯田のした輸入手続上の諸行為、他方被告会社の本件契約に対処した態度並びにこれに関連する高島屋飯田の行為について述べる。

(一)  本件輸入手続上の行為について。

高島屋飯田は、前記各契約により、昭和二六年三月八日油五一号分につき様式会社東京銀行本店にその輸入承認申請をし、また、同日油五六号分につき株式会社富士銀行本店に輸入承認申請をし、そのいずれもにつき、自己資金をもつて輸入保証金を供与し、ついで右各銀行に対し信用状の開設を依頼した結果、同月二二日富士銀行本店が油五六号分につき、同月二四日東京銀行本店が油五一号分につきそれぞれ信用状を開設した。そうして、前記のように同年四月二日右各物品につき米国政府から輸出許可が与えられたので、高島屋飯田は、その旨を被告会社に伝え、ついで、前記二、で述べたように、油五一号分が「シーボードエンタプライズ。」号及び「ラカンブル。」号に積み込まれ、油五六号分が「アステリス。」号に積み込まれて、右同項目において述べたように、昭和二六年七月一九日第一船が横浜港に、同月二五日第二船が四日市港に、同年八月二九日第三船が横浜港にそれぞれ到着した。

高島屋飯田は、右船舶に積込が終了後、そのころそれぞれにつきいわゆる船積案内(Shipping Advice)とその入港予定日の通知を口頭で被告会社の者を通じて発し、また、貨物到着当時その着荷案内も同様口頭でした。もつとも、右通知、案内が書面によりなされることがあるけれども、これは、国際的取引関係において妥当することがらであり、国内取引において、そのうえ、同一地域内に住所を有する者間の取引関係では、口頭でなしうることがらである。

また、高島屋飯田は、右船舶の荷揚港につき被告会社に対しその指定を求めなかつたけれども、後述のように被告会社は、貨物到着前、既にその引取拒絶の意思を表明していたので、高島屋飯田は、被告会社に対し右指定を求めるべき義務がなかつたわけであり、しかも、もともと前段掲記の契約所定の日本港C・I・F渡というその日本港とは、それ自体意味を有せしめたものでなく、被告会社の大豆搾油工場が横浜にあり、従つて、右両者間で契約当初から荷揚港は横浜港とする旨の了解が成立していたのである。

高島屋飯田が「ラカンブル。」号を四日市港に入港せしめたのは、京浜地区所在の倉庫状況が輻奏していたため、やむをえずとつた措置であり、決して同会社の恣意によるものではなかつた。

(二)  しかるに、被告会社は、秋野を通じ同年五月代金支払期日の延期を高島屋飯田に申し入れ、更にそのころ秋野及び和田らは、前記三船中の一船分につき契約の合意解除を申し出るとともに代金減額を申し入れたので、高島屋飯田において被告会社との将来の取引関係の継続を望んで、三船分中、二船分につき単価一六四ドルに減額して、その申出に応じようとの態度をととのえた。ところが、被告会社は、同年六月二日同会社に高島屋飯田の近藤、岡島、安井らを呼び出し、前記鈴木、佐伯、和田らが出席のうえ、同人らを通じて、前記売買契約は、被告会社との間で成立したものではなく、同会社は契約上の義務をおわない旨を申し述べたのであつた。同会社において、右売買契約の不成立を表明したのは、このときに始まるのであり、右近藤らは、ことの意外さと重大さに驚いたが、無用の抗争は避け、被告会社がわの事情とその真意を確かめたうえ、対策を立てることと定めた。高島屋飯田は、あくまでも事態の円満解決を望み、あるいは、秋野の依頼に応じ同月四日乙第一号証の三の英文契約書を同人に預け入れ、また、その後同会社専務取締役飯田俊季、同会社会長飯田東一らが直接被告会社との折衝にあたつたけれども、その努力は、すべて失敗に終つたのである。

(三)  ところで、前記三の(二)において述べたように、国内の大豆相場は下落の一途を辿つていた際、油糧輸出入協議会が結成され、同協議会は、金融のあつ旋を行う目的で商社の輸入大豆で「手持。」となつたもの転売契約を結んだが、その転売さきの資力不十分なものの大豆数量並びにその金額につき調査を行い、右にいう「手持。」とは、転売さきがその引取を拒絶し、従つて手持となつた場合をも含む趣旨であつたから、高島屋飯田は、本件契約による大豆も手持品であるとして右協議会に報告し、同社とドレイフアス社間の右大豆売買代金及び輸入諸費用の支払に備えたのであつた。従つて、右報告は、高島屋飯田において本件契約の不成立を自認していたことによるものではなく、被告会社の不法な引取拒絶により、みずから右代金、諸費用の支払を強制される事態の救済策としてなされたものであつた。

九、被告会社は、昭和二六年三月七日原告会社(合併前丸紅株式会社)から本件と同種の米国産大豆数九、〇〇〇トンを買い付け、しかも、同種の紛争を起させ、右紛争は、右両者間で現に昭和二十八年(ワ)第四、九二八号損害賠償請求事件として当裁判所に係属している。すなわち、

(一)  原告会社は、右同日外商コンチネンタルグレイン株式会社から北米産大豆数量九、〇〇〇キロトンを買い受けるとともに、同日これを被告会社に売却し、当時右売買契約の成立につきなにびとも疑いを入れなかつたところであるにもかかわらず、前記四の(2) で述べた和文契約書の作成を被告会社に求めたところ、そのころ既に大豆相場漸落のきざしがあつたため、同会社はことさらにその作成を怠り、ついで、売買契約の成立には、和文契約書の作成を要するものとし、和文契約書の作成をみるに至らなかつたことを理由として右売買契約の成立を否認するのであつた。

(二)  高島屋飯田と同様、原告会社も被告会社との継続的取引関係を期待した結果、事態の円満解決を望み、原告会社油脂課長心得春名和雄らと本件の場合と同様被告会社の右大豆買付の担当者であつた前記秋野との間で折衝が行われたが、同年七月二五日秋野は、示談解決の方法と称して、「右大豆については、市況の実情に徴し、数量、価格並びに代金支払条件を双方協議のうえ、これがととのえば、被告会社は右大豆を買い入れること。」という覚書(乙第九号証の一)を作成し、原告会社をして、右覚書に基き被告会社と協議することを約した書面(乙第九号証の二)を作成せしめ、更にひるがえつて、右各書面の存在をもつて右売買契約の不存在の資料であると主張する。この間の事情は、本件英文契約書(乙第一号証の三)が被告会社の手裡に落ちたのに乗じ、同会社がそのことをもつて本件売買契約の不存在を証明するものとする、その主張の態様と酷似する。要するに、被告会社は、前記三の(三)で述べた商社と実需者との力関係を知りながら、巧みに原告会社や高島屋飯田をあやつり、大豆相場下落による損害を右両社に転嫁しようとするもので、本件紛争並びに右紛争は、ともに被告会社の卑劣な、計画的債務不履行々為である。

一〇、本件売買契約の解除の適法性と参加人がその解除による損害賠償債権を譲り受けたことについて。

(一)  本件油五一号分、油五六号分の売買契約は、いずれもC・I・F日本港渡しと定められており、従つていわゆるC・I・F契約であるから、売主の目的物引渡義務は、その船積後船積書類を買主に交付するとともに終了する。従つて、契約解除の前提としてなされるべき売主の、目的物引渡義務の履行の提供は、船積書類を提供するか、あるいは、これを交付する用意がある旨を買主に申し出るなどの方法により言語上の提供をするをもつてたりるのであり、高島屋飯田は、この意味の履行の提供をたびたび被告会社に対してしたから、これにより被告会社は、その代金支払債務につき履行遅滞となつたわけである。

更に、高島屋飯田は、前記八の(一)において述べたように本件貨物の船舶積込後、被告会社にあて船積案内をし、その後入港予定日の通知、到着後着荷案内をしたうえ、被告会社の引取を求めたのであり、右各通知、案内は、いずれも特段に書面によりなされることを要するものでない。

もつとも、高島屋飯田は、荷揚港の指定を被告会社に求めず、横浜港、若しくは、四日市港に入港、陸揚げしたのであつたけれども、C・I・F日本港渡の定めである本件売買契約において、同社と被告会社間で、横浜港入港の了解があり、また四日市港入港の措置も不法、不当のものでなかつたことは、右八の(一)項で詳述のとおりであるから、同会社において契約上の債務不履行はなく、ことに、被告会社は、貨物到着前既にその引取拒絶の意思を明らかにしていたので、これに対し荷揚港の指定を求めることは、無意味であり、かような場合売主である高島屋飯田において便宜な一港を選定し、同所を荷揚港と指定することができるのである。

それのみでなく、右に述べた主張を暫くおくとしても、船積、出航後被告会社は、早くも本件売買契約の成立を否認し、貨物引取義務の履行を拒絶する意思を表明していたにもかかわらず、現在に至り、船積案内、入港予定日の通知荷揚港指定請求のないことを理由として、高島屋飯田において適法な履行の提供がないものと、主張すること自体、信義誠実の原則にもとり、権利の濫用にわたるもので、許されるべきでない。

(二)  右契約解除による損害賠償債権の数額は、後記一一で詳述するように、合計金六六〇、二七四、七九八円二七銭に達し、その遅延損害金は、少くとも、うち金五七四、七八三、一四四円八〇銭については、本件訴状送達の日の翌日である昭和二七年六月五日から完済まで、うち金八五、四九一、六五三円四七銭については、訴状訂正申立書送達の日の翌日である昭和二八年二月七日から完済まで、商法所定の各年六分の割合による金員であるところ、参加人は、昭和三〇年八月五日右債権全部を高島屋飯田から譲り受け、同日高島屋飯田は、被告会社に対しその債権譲渡の旨を通知し、これが翌六日同会社に到達した。

一一、右売買契約解除による損害賠償の数額について。

(一)  本件大豆の契約数量、その契約金額及び実数量について。

表〈省略〉

右契約数量中、ラカンブル号、アステリス号分は、積地証明書記載数量であり、本件契約は、数量は、積地証明書記載のものとするとの定めであるから、同記載数量が契約数量にあたるわけであり、シーボードエンタプライズ号分は、積地証明書記載数量が一〇、〇五八キロトン四であつたため、油五一号分の契約上の定めである「九、〇〇〇キロトン一割増減売手勝手。」との条項による数量を超過するから、同船分の契約数量は、右条項により、右表示の数量と定められるのである。なお、右契約金額中、ドル表示のものは、前二船につき一キロトン単価一六九ドル、後一船は、一キロトン単価一六五ドルとして、算出されたもので、右円換算金額の換算基準は、本件売買契約成立当時一ドルが三六一円五五銭の為替レートであつたから、同換算率によるものである。

(1)  ところで、高島屋飯田は、右売買契約の解除後、右大豆を順次転売したが、その転売さき、数量、価格は、

シーボードエンタプライズ号積載分は、別紙〈省略〉転売明細表(一)(別紙明細表では、(1) と表示する。以下、番号の表示方法につき同様とする。)の(イ)第一、二表記載のとおりであり、

ラカンブル号積載分は、同表(一)の(ロ)第一、二表記載のとおりであり、

アステリス号積載分は、同表(一)の(ハ)第一、二表記載のとおりである。

右シーボードエンタプライズ号積載分中、同明細表(一)の(イ)第一表契約番号保険らんとして記載のように高島屋飯田は、同船航海中、衝突事故により海中に没したもの及び航海中の雨濡れ等の海難事故により保険金の給付を受け、また、同明細表中事故品らん記載のように雨濡れ品を売却処分したものがあるが、右保険金額及び事故品処分額と契約金額との差額は、被告会社の代金支払債務の不履行若しくは、本件大豆の引取についての受領遅滞により生じたものであるから同会社は、前記転売により高島屋飯田が被つた損害とともに、右差額をも賠償すべき義務がある。

(2)  つぎに、高島屋飯田は、前記ドレイフアス社との間の売買代金を決済するためと、入庫料その他の諸経費の支払にあてるため、東京銀行及び富士銀行から日歩二銭五厘の割合で融資を得た(これらの点については、後に詳述する。)が、その借用金に対する右利息金は、当然被告会社が負担すべきものである。すなわち、商事会社は、敗戦后一般にかような銀行借入の方法で輸入貨物の代金決済をはかるものであることは、業界公知の事実であつて、被告会社もこのことを熟知していたもので、その代金支払債務の不履行により高島屋飯田の負担に帰した右利息金は、特別事情による損害として被告会社がこれを賠償しなければならない。そうして、右転売ごとに転売処分日から転売代金を受領した日までの右利息金をみれば、以上の各表の負担金利らん記載のとおりである。

(3)  もつとも、高島屋飯田は、右転売さきから、代金の支払にかえ手形を受領して、これを割引その他の方法で現金化したものもあり、この場合現実に代金受領の日までのその代金額に対する利息金を受領しており、その利息金額の明細は、以上の各表の受取金利らん記載のとおりである。従つて、転売処分代金としては、右(1) 記載の転売代金に右利息金額を加算すべきであり、換言すれば、転売により現実に被つた損害は、前記契約金額から右両者の合計金額を控除したものとなるべきものである。

かようなわけで、前記契約金額から右(1) 、(3) の合計額を控除した金額に右(2) の損害金を加算すれば、別紙(一)〈省略〉転売差損金明細表下段差損金らん記載のように、シーボードエンタプライズ号積載分は、一一九、七八八、六三九円八七銭、ラカンブル号積載分は、一一六、九二七、四八四円九九銭、アステリス号積載分は、一一四、八四五、一五五円三二銭、以上合計金三五一、五六一、二八〇円一八銭である。

(二)  高島屋飯田は、前記三船各積載の実数量記載の大豆(たゞし、シーボードエンタプライズ号積載大豆は、契約数量をもつて算定の基準とする。以下同じ。)を別紙(二)〈省略〉保管料明細表記載のとおり売却処分により出庫するに至るまで、その記載倉庫に保管し、その結果、倉庫料として合計金六八、四〇四、〇三四四円七九銭を支払い、同額の損害を被つた。

(三)  高島屋飯田は、右数量の大豆を右のように倉入れするにあたり、別紙(三)〈省略〉入庫時諸掛明細表記載のとおり、荷揚げ、はしけ回漕、その他庫入諸掛り費用として合計金二九、三三五、六四三円三九銭を支払い、同額の損害を被つた。

(四)  高島屋飯田は、シーボードエンタプライズ号積載大豆を右のように入庫するためその転売による引渡に至るまで別紙(四)〈省略〉麻袋賃料明細表記載のとおり麻袋を賃借し、そのうち右契約数量分として賃貸料合計金三一、四四三、七五〇円を支払い、また、ラカンブル号及びアステリス号積載大豆を入庫のため麻袋、綿袋を別紙(五)麻袋綿袋購入並びに転売一覧表記載のとおり買い入れ、その転売に伴い同表記載のように右麻袋、綿袋も売却したので、右二船分については、結局、その差額合計金三〇、四九五、〇二三円の損害を被つた。

(五)  高島屋飯田は、右大豆を入庫、保管中、虫害防止のためくん蒸を行い、右数量のため、費用として金五八九、二一〇円一八銭を支払い、同額の損害を被つた。

(六)  前記転売処分のため、高島屋飯田は、事故品の委託加工費、庫出し、積み込み、運搬諸掛り費用として、右数量の大豆のため、別紙(七)〈省略〉出庫時諸掛明細表記載のとおり、合計金一二、三五九、二七五円九一銭を支払い、同額の損害を被つた。

(七)  前記(一)で述べたように、高島屋飯田は、右大豆を売却処分したが、その売却処分代金は、同項末尾で述べたように、同会社が現実に転売さきから支払を受けた売買代金及び利息金との合算額から、同会社が東京、富士両銀行に対し支払つた利息金中、転売処分の日から転売代金を受領した日までの同利息金相当の損害金を控除した残額にあたるわけである。

ところで、別紙(一)転売明細表記載のように、その売却処分は、昭和二六年九月一四日から昭和二七年六月三〇日までの長期の日時を要し、かつ、その数量も極めて多量であり、同会社は、その人的機構と物的設備とを挙げて右売却にあたつた。かような場合、なにびとがこれにあたつたとしても、積極並びに消極の財産上の損害を被むるのは、当然で、右期間と右数量とに基けば、その最少限度の損害額は、右売却処分金に対する一分の割合相当の金員に相当する。従つて、高島屋飯田は、右売却処分金合計一、四四八、八四九、一六四円二五銭に対する一分の割合相当の金額である金一四、四八八、四九一円六四銭の損害を少くとも右売却処分にともない被つた。

(八)  金利に相当する損害金について。

(1)  高島屋飯田と前記ドレイフアス社との間の本件大豆輸入の代金決済は、いわゆる輸入ユーザンスの方法、すなわち、信用状開設銀行が船積書類の到着と同時に対外的にいわゆる輸入手形を決済することなく、輸入につき関与する外国にある外国銀行、すなわち、本件輸入においては、ドレイフアス社との取引銀行から信用状開設銀行に対し供与された信用に基き同開設銀行が高島屋飯田に対し船積書類到着後一定の支払猶予期間を定めて代金の決済がなされるべき旨の信用を供与する方法によりなされたものである。そこで、本件輸入においては、実需者である被告会社が高島屋飯田との間で右ユーザンス決済の方法によることを前提とし、振出日は通関日、満期日は、ユーザンス五日前、金額は、契約金額にこれに対する右期間中の年五分の割合による金利を加算したものとの定めで約束手形を振り出すこととの約束が成立しており、高島屋飯田は、その約束手形に裏書のうえ信用状開設銀行である東京銀行若しくは富士銀行にこれを差し入れるはずであつた。しかるに、被告会社は、右特約にそむき、右のような約束手形を振り出さなかつたため、高島屋飯田は、右のような定め、すなわち、

(イ) シーボードエンタプライズ号積載分については、(一)金額六一七、五〇四、六七六円八八銭(二)振出日昭和二六年八月一五日、(三)満期日同年一〇月一一日

(ロ) ラカンブル号積載分について、(一)金額六一八、六六四、七二九円九六銭(二)振出日同年八月二六日(三)満期日同年一〇月二七日

(ハ) アステリス号積載分については、(一)金額六〇五、一一〇、三九九円九五銭(二)振出日同年九月二一日(三)満期日同年一一月二二日

以上のような定めの約束手形三通を、(イ)(ロ)の手形は東京銀行にあて、(ハ)の手形は、富士銀行にあて振り出し交付し、右額面とさきに述べた契約金額との差額、すなわち、ユーザンス金利を右各銀行に支払つたのであり、その金利額は、別紙(九)ユーザンス金利計算書記載のように合計四〇、八七九、三六二円三六銭に達した。

(2)  前記一一の(二)の(2) で述べたように、高島屋飯田は、ドレイフアス社との売買代金の決済にあてるため、すなわち、その輸入手形を決済するため、結局東京、富士の両銀行から契約金相当額の金員を借用し、また、本船到着後入庫料その他の諸経費の支払にあてるため右各銀行から融資を得たが、その借用金に対する利息金は、前者は、別紙(九)〈省略〉支払金利計算書記載のように合計六〇、六四五、五六五円一五銭に達し、後者は、借用金額が、少くとも一七二、六三〇、〇〇〇円であるので、借用当日から昭和二七年六月六日までの分は、四、七四〇、〇〇〇円である。

右(1) 、(2) の各金員合計一〇六、二五四、九二七円五一銭相当の損害は、被告会社の本件売買代金債務不履行により通常生ずべき損害であり、仮にそうでないとしても、同会社は、当然右損害の結果発生を予見することができたはずのものであるから、特別事情により生じた損害として高島屋飯田は、その賠償を求めることができる。

(九)  輸入手続においては、輸入者は、その取引銀行に信用状の開設を依頼するものであり、その信用状開設につき当然生ずる費用、すなわち、銀行手数料、実費である電報料等の費用は、商慣習上実需者である注文者が負担するものとされている。高島屋飯田は、本件信用状開設銀行である東京銀行及び富士銀行に対し右所要経費として別紙(三)信用状開設手数料並びに実費明細表記載のとおり合計金四、五四〇、六九九円を支払つたから、その求償債権を有する。

(一〇)  商社、実需者間で輸入貨物につき売買契約が成立し、その履行が終了したときは、商慣習上、売買代金の一〇〇〇分の六相当の金員を口銭として買主である実需者に支払を求めうるものである。従つて、高島屋飯田は、本件売買契約の履行により当然右割合による口銭を受け得たはずで、その口銭は、合計金一〇、八〇二、四六二円六七銭であるが、被告会社の前記債務不履行による契約解除に伴い、右同額の得べかりし利益を失つたわけであるから、その損害の賠償を求めることができる。

一二、参加人は、前段一〇の(二)において述べたように右損害合計金六六〇、二七四、七九八円二七銭及びうち金五七四、七八三、一四四円八〇銭に対する昭和二七年六月五日から完済まで、金八五、四九一、六五三円四七銭に対する昭和二八年二月七日から完済まで商事法定利率年六分の各割合による遅延損害金債権を高島屋飯田から譲り受けた者であるから、本件訴訟の目的の全部が自己の権利に属するわけであり、民事訴訟法第七一条に基き参加の申出に及んだ。

以上のように述べ、

証拠として、丙第一、二号証の各一、二、(第一、二号証の各二は、写真。)、第三号証、第四ないし第七号証の各一、二、第八ないし第一五号証、第一六号証の一ないし五(同号証は、いずれも写真。)、第一七、一八号証の各一、二、第一九ないし第二四号証、第二五号証の一、二、第二六号証、第二七号証の一ないし一七、第二八ないし第三二号証、第三三号証の一、二、第三四号証の一ないし四、第三五、三六号証、第三七、三八号証の各一、二、三、第三九号証の一、二、第四〇号証、第四一、四二号証の各一、二、三、第四三号証、第四四号証の一、二、三、第四五ないし第五〇号証、第五一号証の一、二、第五二号証の一、同号証の二のイ、ロ、第五三号証の一ないし五、第五四、五五号証の各一ないし四、第五六号証の一、二、三、第五七、五八、五九号証の各一、二、第六〇、六一、六二号証の各一ないし四、第六三、六四号証の各一、二、三、第六五号証の一、二、第六六、六七、六八号証の各一、二、三、第六九号証の一ないし一一七、第七〇号証の一ないし一一、第七一号証の一ないし五八、第七二号証の一ないし七、第七三号証の一ないし四、第七四号証の一、二、三、第七五号証の一ないし七、第七六号証の一ないし五、第七七号証、第七八、七九号証の各一ないし一三、第八〇、八一号証の各一ないし一一、第八二、八三、八四号証の各一、二、第八五、八六号証、第八七号証の一のイ、ロ、同号証の二、三、第八八号証、第八九、九〇号証の各一、二、第九一号証の一ないし四、第九二号証の一、二、第九三、九四号証、第九五号証の一、二、第九六号証、第九七、九八号証の各一、二、第九九号証、第一〇〇号証の一、二、三、第一〇一、一〇二、一〇三号証、第一〇四号証の一、二、第一〇五、一〇六号証の各一、二、三、第一〇七、一〇八号証の各一、二、第一〇九ないし第一一三号証、第一一四号証の一ないし四、第一一五号証の一ないし六、第一一六号証の一、二、第一一七号証の一、二、同号証の三のイ、ロ、(第一一七号証の三のイ、ロは、いずれも写)を提出し、同第一、二号証の各二は、油五一号分の英文契約書の写真、第一六号証の一は、昭和二六年三月七日附日本経済新聞紙の写真、同号証の二は、同年六月五日附同紙の写真、同号証の三は、同年六月八日附同紙の写真、同号証の四は、同年九月四日附同紙の写真、同号証の五は、同年九月五日附同紙の写真であると述べ、証人近藤一雄(第一、二回)、飯田俊季(第一、二回)、安井泰一郎(第一、二回)、岡島康雄(第一、二回)、水野順弘、飯田東一、黒川正雄、杉山金太郎、片桐英雄、塩入信男、田中利道、香川卓一、土井常明、松平一郎、高比良馨、島崎龍雄、松本季三志、太田静男の各証言を援用し、乙第一、二、三号証の各一、二、三、第四、五、六号証、第九号証の一、二、第一二号証、第一三号証の一ないし四、第一五号証の一、二、三、第一六号証、第一七号証の一、二、第一八号証、第一九、二〇号証の各一、二、第二一号証、第二二号証の一ないし四、第二三号証、第二五号証、第二九、三〇号証の各一、二、三、第三二号証の一、二、第三三、三四号証第三五号証の一、二、第三六、三七号証、第三八号証の一、第三九ないし四二号証、第四三号証の一、第四四、四五、四六号証の各成立(第一七号証の一、二、第一八号証は、原本の存在並びにその成立)を認め、その余の乙号各証の成立は不知、乙第一、二、三号証の各一、二、三、第四、五、六号証、第九号証の一、二、第一五号証の三、第一六号証、第一七号証の一、二、第一八号証(第一七号証の一、二、第一八号証はいずれも写)、第二〇号証の一、二、第二一号証、第二二号証の一ないし四、第二五号証、第三四号証を利益に援用すると述べた。

被告会社訴訟代理人は、「参加人の請求を棄却する。」との判決を求め、参加人の主張事実に対し、次のとおり答えた。

参加人主張の一、の事実について。(以下、単に番号のみを表示する。)

同主張事実中、高島屋飯田並びに原告会社の営業の目的が参加人主張のとおりであり、両会社は、参加人主張の日に会社合併をしたことは認めるが、参加人の営業の目的の点を除き、その余の事実を争う。被告会社は、グルタミン酸ソーダを主要成分とする調味料の製造、販売を業とし、かつ、輸出入貿易業をも営む会社である。

二、の事実について。

同主張事実中、参加人主張の日に契約番号油五一号、同油五六号の各英文契約書が作成されたこと、高島屋飯田が被告会社に対し「シーボードエンタプライズ。」号積込みで、昭和二六年七月一九日「アステリス。」号積込みで同年八月二九日いずれも参加人主張のような種類、数量の大豆が横浜港に到着し、「ラカンブル」号積込みで参加人主張のような種類、数量の大豆が四日市港に到着した旨の通知がなされたこと、高島屋飯田は、同年一二月三一日書面で参加人主張のような趣旨の催告並びに停止条件附き契約解除の意思表示をし、これが被告会社に到達したこと、被告会社は、右催告期間内にその催告にかゝる代金の支払をしなかつたことは、認めるが、その余の点を争う。高島屋飯田、被告会社間において参加人主張のような売買契約は、結ばれたことがない。

三、の事実について。

同(一)の事実は、認める。

同(二)、(三)の事実中、わが国輸入大豆の従前の買付状況が参加人主張のとおりであること、昭和二五年末から昭和二六年上期にわたり、参加人主張のような輸入貿易の一般状勢と国内大豆の絶対量の不足により大豆輸入の促進が極度に要望されていたが昭和二六年二月一二日米国は、大豆につき最高価格制を施行しこれを契機としてわが国は、同月二二日から米国産大豆につき自動承認制を採用したこと、右自動承認制による米国産大豆の輸入承認申請は殺到して、その申請量が巨額に達したので、同年三月一〇日その申請の受附が停止されたこと、同年四月初めころから大豆相場は漸落し、次いで、大暴落し、輸入滞貨が激増するに至つたこと、右自動承認制施行の前後を通じ、国内市場において商社相互間の一流実需者に対する売込の競争は、激烈なものがあつたことは認めるが、輸入者である商社と実需者間の輸入貨物の代金決済は、同物品の引渡のころまでなされなかつたとの点を除き、その余の点を争う。

右自動承認制の施行後、米国での国内事情と相まつてわが国への大豆輸入は極めて困難に立ち至ることが予想され、商社、実需者ともに確実なその売申込を外商から取り付けることに腐心したとの参加人の主張は、事実と異なる。すなわち、米国内の輸送制限とメキシコ湾の輻奏のため、大豆積出は、将来にわたり困難となるとの観測が仝年三月迄は一般に存在したが、仝年四月以降に於ては高島屋飯田を初め、業界一部の者の間で斯る観測は行われていたにとゞまり、一般は、その観測を支持していたものでなく、また、少くとも、実需者は、売申込を取り付けるのに悩む関係には、置かれていなかつたのである。

参加人主張の思惑輸入は、商社が進んでしたものであり、自動承認制による輸入承認申請の受附停止、その後の輸入滞貨の激増の現象は、すべて商社の思惑に発するもので、実需者の関知しないところである。もともと商社の思惑輸入は、昭和二六年一月、前記のようにわが国において大豆輸入につき自動承認制が採用される前、輸入貿易の方式につき政府貿易とするか、あるいは、民間貿易とするかの政策の決定をめぐり論議がなされていたころ、既に一流商社、たとえば、原告会社、高島屋飯田のほか伊藤忠商事株式会社、東亜交易株式会社らが、前記国内大豆需要量の絶対的不足により右貿易の方式がいずれに決定するとも、輸入買付大豆の転売は可能であるとの経済事情に基き外商を通じて盛んに買付をしたのであり、参加人の三、の(一)の主張のような一般事情が加わり、商社のほとんどは、巨利を得ようとして、その危険と計算においてさきを争つて外商に買申込をした。この間にあつて、商社の右思惑輸入をあおつたのは、政府の備蓄輸入の奨励政策である。しかし、政府も、たゞ手放しで商社の輸入を放任していたわけではない。すなわち、後記輸入管理の項でも述べるように、自動承認制のもとで、一輸入業者により輸入が独占され、または、これに偏在するのを避けるため、一社あたりの商品別輸入限度が設定されており、この限度を超えて輸入承認を受けようとする者は、あらかじめ通商産業大臣の事前許可を受けるべきものとされていた。限度外申請がこれである。すなわち、右方法により商社の思惑輸入が一般的であることを前提として、制度的にこれを防止しようとするものであつた。それのみでなく、信用状開設銀行は、商社のため信用状を開設するにあたり、売りつなぎさきである実需者の買約証、または、その者との売買契約書の提出を求め、その売買の存在を碓認したうえで信用状を開設するのが慣例でありこのことは、右限度外申請の場合と同様、商社において思惑輸入がなされるのが一般的であつたことを裏付けるものである。当時、商社の思惑輸入の最も激烈な対象となつたものは、ゴム皮革、大豆で、これを指して、「新三品。」という造語が新たに生まれたほどであり、また、後にも述べるように、大豆相場の下落が顕著になつたころ、油糧輸出入協議会が結成され、同協議会の調査の結果、実に五七、九〇一トン、その価格九、五七三、八三四ドルが商社の思惑輸入によるものであることが判明したのであり、殊に、高島屋飯田は、当時の常識をもつて想像しえないほど思惑に積極的で、大豆のほか、たとえば「あまに。」を満船購入するという危険をあえてしたことは、業界周知の事実である。

かようなわけで、商社が思惑輸入をしたものではなく、実需者が思惑買いに走つたとの参加人の主張は、事実に反する。

同(四)の(1) 、(2) の事実について。

国の輸入承認の方式として当時外貨資金割当制と自動承認制があり、その制度の内容が参加人主張のとおりであること、更に参加人主張のような趣旨、目的の限度外申請が認められておりこれにより一輸入業者あたりの所定の輸入限度が緩和されていたこと、大豆に対する右両方式の採用、施行の時期が参加人主張のとおりであること、輸入承認申請は、輸入保証金を添えて外国為替銀行に申請書を提出し、その承認を受けた者は、承認後二〇日以内に信用状の開設を銀行に依頼するものであることは、認めるが、その余の点を争う。

限度外申請は、自動承認制、外貨資金割当制を通じて定められた輸入限度の制限を緩和するために認められていたものであつて、参加人主張のように自動承認制のもとにおいて丈適用があつたものではない。

ところで、参加人は、限度外申請、輸入承認申請、銀行に対する信用状の開設依頼を通じ、輸入業者である商社は、国内での売りつなぎの事実証明文書、たとえば、実需者の買約書、売買契約書等を提出してする必要がなかつたと主張するけれども、右のような書面の提出は、なるほど法令上の義務として申請者に課せられていたわけでなかつたが、所轄官署は、申請者に対して右書面の原本またはその写の提出を求め、また、信用状開設銀行も同様の取扱いをしており、これが慣行として樹立していたのである。

四、の(1) 、(2) の事実について。

同主張事実中、輸出入貿易業界において、参加人主張のような貿易取引右左の原則と称される慣行があるとの点、いわゆるC・I・F価格、F・O・B価格、買手倉入価格の意味内容の点を除きその余の点は、すべて争う。

少量の物品売買の場合は、さておき、大量巨額の輸入貨物の売買は、書面によりなされるべきものであり、口頭による意思の合致があつたゞけでは、足りない。すなわち、右物品についての売買では、まず、英文契約書が二通以上作成されて各当事者がこれを分有し、その後遠くない日に和文契約書が作成されるものであるが、右契約書は、いずれも、双方の契約てい結の権限を有する者が署名することを要し、右段階を経て和文契約書が作成されたとき売買契約が成立するものとする商慣習がある。英文契約書は、契約の大綱のみを定め、和文契約書は、契約の履行に必要な細目にわたり定められるもので、英文契約書のみに基いては契約の履行はできないから、その作成のときをもつて契約成立のときとされないのである。

かようなわけで、参加人主張のように、C・I・F価格につき意思の合致があつたとき売買契約が成立するというものでもなく、また、右段階を経ず、英文契約書の作成を任意省略するということも商慣習上承認されてはいない。

同(3) の事実について。

同主張事実は、すべて争う。会社内部において担当者として指定されている者の行為は、たゞちに会社自身の行為を意味するものではなく、従つて、その者に会社を代理して売買契約をてい結する権限はない。すなわち、担当者は、売買契約の条件たとえば、価格、数量、引渡の時期、運賃等につき相手方と折衝し、いわば、契約てい結の準備行為をするに過ぎないのであり、終局の決定の権限は、会社代表者等会社内部において契約てい結の権限ある者と定められている者に保留されているのである。そうでないとすれば、前述のように和文契約書が作成されたときに契約が成立するものとされることは、無意味である。

五、の事実について。

同主張事実中、被告会社が「味の素。」のほか、大豆油等を製造販売するを業とするメーカーであること、被告会社営業部企画課員秋野享三は、被告会社の買付担当者であつたこと、同会社は、高島屋飯田から米国産大豆二級品九、〇〇〇トンを撒荷、数量一割増減は、売手勝手のこととの約束で買い受けたこと、右契約に関し英文契約書(乙第三号証の一)、及び和文契約書(乙第三号証の二)が作成され、右大豆は、「ジーン・L・D」号に積み込まれて横浜港に到着し、その引渡がなされ、代金が支払われたこと、被告会社が、原告会社からも大量二口の大豆を買い受け、その引渡、代金の支払がなされたことは、認めるが、その余の点を争う。右和文契約書(高島屋飯田契約番号油四四号。)の作成行為は、昭和二六年三月六日完了したもので、これにより右契約が成立したのであり、また、英文契約書が作成されたのは、同年二月九日であつた。かようなわけで、英文契約書、和文契約書ともに、参加人主張の日に成立した契約の確認のため作成されたものではない。

前段参加人三、の(二)、(三)の主張に対し述べたように、各商社とも思惑輸入をはかつた結果、右当時、既に大量の大豆を手持し、これを売りさばくため、実需者に対する売込に狂奔していたので、被告会社に対しても他の商社から数口の売申込があつたほどで、同会社が大豆買付に狂奔していたことはなかつた。

六、の事実について。

同主張事実中、被告会社業務部副部長和田五郎が参加人主張の各日時、場所で契約番号油五一号、油五六号の各英文契約書(被告会社は、同書面を英文覚書というべきものと主張するが、同一書面であるので、便宜上英文契約書と称する。以下同じ。)に署名し、同書面が作成されたこと、参加人主張の日時に料亭「雪村。」で高島屋飯田、被告会社の交歓会が催され、被告会社常務取締役鈴木恭二がこれに出席したことは、認めるが、その余の点は争う。

昭和二六年三月二日高島屋飯田物資部次長近藤一雄と前記秋野享三間で契約番号油五一号につきなされた折衝の経緯は、次のとおりのものであつた。すなわち、近藤は、秋野に対し米国政府は、日本向け大豆積出を極力制限しようとしていること、米国内陸輸送は、貨車不足であり、積出地メキシコ湾ボートは、戦略物資積出のため貨車輻奏し、傭船も困難であり、従つて、他社の既契約分は積出不能のまゝ解約されるであろうことを申し述べ、積出地をカナダ領セントローレンス、積期四、五、六月、価格C・I・F一六九ドル一満船数量九、〇〇〇トン積み二船の定めで米国産大豆二級品の売申込をしたが、秋野はこれを拒絶した。しかるに、同月五日参加人主張の飯田俊季、近藤一雄らが、被告会社において同社代表取締役道面豊信と面接し右同様の旨を申し述べて買受をすゝめたが、同人もこれを拒絶したのであつた。前記料亭「雪村。」での交歓会は、前述の油四四号分の契約成立に対する高島屋飯田の謝礼の趣旨であつた。また、油五六号分につき参加人が主張するように同年三月八日高島屋飯田から前記秋野に対しては、勿論、被告会社のなにびとに対しても参加人主張の大豆の売申込はなく、被告会社の右の者らがこれを承諾したことはなかつたのである。

被告会社が右当時大豆の買付指図をし、若しくは、その売申込を承諾するわけがない事情について述べる。

(一)  被告会社は、既に同年一月操業計画を樹立し、同年四月から九月までに要する大豆量として二八、〇〇〇トンと定めていたところ、高島屋飯田から前記油四四号分九、〇〇〇トン、原告会社から一四、〇〇〇トン、北海道産大豆五、〇〇〇トンを買い付け、右所要大豆は全部手あてずみで、これ以上の大豆を必要としない事情にあつた。そこで、高島屋飯田のほか東亜交易、東洋綿花、伊藤忠商事等の各商事会社からも大豆の売申込を受けていたが、これらをすべて拒絶していたのである。

(二)  参加人主張三、の事実に対する答弁として述べたように、当時商社は実需者に対する売込みに狂奔していたのであり、それであるからこそ、右に述べたように高島屋飯田ほか数社から売申込を受けていたのであつて、被告会社から買付指図を出すということは、およそ想像することもできない事情にあつた。

(三)  油五一号、油五六号分ともに、参加人主張の契約条件である積期は、四、五、六月または、四月ないし七月というもので長期にわたる船積期間であり、買主である実需者にとり極めて不便なものであり、船積港は、通常メキシコ湾ガルフ港の定めであるにもかゝわらず、参加人主張の所定船積港は、カナダ領セントローレンスであるから異例の契約条件である。しかも、油五一号の価格は、一キロトンにつきC・I・F一六九ドルであつたというのであり、当時における平均輸入価格が一六〇ドル前後であるのに比し、法外の高値である。更に、通常買主が買付指図を出すとき、その有効期間は、せいぜい二四時間と定められるものであるにもかゝわらず、参加人が秋野が発したと主張する買付指図の有効期間は、一〇日間であつて、それ自体丈みても、あり得べきことがらではない。

(四)  前段参加人の四、の(3) の主張に対する答弁として述べたように買付担当者である秋野は、買付の終局的権限を持つている者ではなく、被告会社代表者、または契約てい結の権限を有する者の決定を待つて買付指図をし、または、売申込に対し承諾するのである。参加人主張のように秋野の独自の判断で右行為をするわけがない。

通常、商社であると実需者であるとを問わず、売申込または買付指図をするときは、書面によりなされるものであり、口頭でこれがなされたときは、その直後に確認のための書面が作成されるのが慣行であるにもかゝわらず、右両契約分を通じて、このような書面は、高島屋飯田においても被告会社においても作成されたことがなく、また、右契約分のような巨額の取引においては、買主側で、資金調達のため工作するのが先決問題であるが、被告会社経理部は、右契約に関し、なにごとも知らず、また、被告会社の融資銀行もこれに関与するところがなかつたのである。

更に、油五六号分については、三月五日前述のように油五一号分につき被告会社代表者が買受の意思がないことを明らかにしていたのに、参加人主張のように同月八日秋野が右代表者の意思を無視してその買付をはかるはずがないし、仮に油五六号分につき高島屋飯田とドレイフアス社間で参加人主張のように同月七日売買契約が成立していたものとすれば、同日夜催された前述の交歓会において当然右油五六号分につきなんらかの連絡が被告会社常務取締役鈴木恭二になされるべきはずであるのに、その連絡もなかつたのである。

かようなわけで、参加人の油五一号、油五六号につき契約が成立したとする主張事実は、虚偽である。

七、の事実について。

同主張事実中、高島屋飯田から被告会社に持参された英文契約書は、油五一号分につきオリジナル、デユプリケート、トリプリケート乙第一号証の一、二、三の三通であり、うちトリプリケート(乙第一号証の三)に和田五郎が署名をしたこと、油五六号については、乙第二号証の一、二、三のほか右のような表示のないもの(丙第三号証)一通合計四通であり、和田がその署名をしたのは、右表示のないもの一通(丙第三号証)であつたこと、右各文書のうち、高島屋飯田側の署名として前者のものには、飯田俊季、後者のものには、近藤一雄の署名がなされていたこと、限度外申請、輸入承認申請、信用状の開設依頼をするにあたり、申請者、依頼者は、国内での売りつなぎの事実証明文書を提出すべき法令上の義務をおわないものであること富士銀行は高島屋飯田の依頼により参加人主張の日に油五六号分につき信用状を開設したこと、乙第一号証の三の英文契約書及びそのオリジナル、デユプリケート、油五六号分のオリジナル、デユプリケート、リリプケートの三通は、いずれも被告会社の手中にあり、乙第一号証の三の英文契約書は、高島屋飯田の依頼により一たん交付されたが、再び返還を受けたものであること、右両社の売買につき高島屋飯田、被告会社間で和文契約書が作成されなかつたこと、同年六月二日被告会社は、右両売買は存在しない旨を明確に表示したことは認めるが、その余の点は、争う。

売買契約を成立せしめるにつき当事者双方が署名するのは、通常オリジナル、またはデユプリケートの契約書であり、右三通がそれぞれ契約書原本となるべき性質のものでなく、その性質に軽重の差異があるし、また、丙第三号証の英文契約書は、契約書のコピーに過ぎないものである。

高島屋飯田から被告会社に対し乙第一号証の三の英文契約書が返還されたのは、参加人主張のように同年六月四日ではなく、同年三月二六日であつたのであり、その返還は、参加人主張のように秋野が、高島屋飯田、被告会社間の紛争を円満に解決するための手段として預入を申し出たことによるものでなく、後述のような、当初署名する際の約束に基くものであつた。

乙第一号証の三、丙第三号証の各英文契約書は、真実契約の成立を証明する文書ではなく、その作成に関する事情は、次のとおりのものであつた。

まず、乙第一号証の三については、参加人主張の日被告会社営業時間終了後である午後五時三〇分ころ参加人主張の岡島康雄、安井泰一郎らのほか前記近藤一雄が同会社に赴き、「高島屋飯田は、既にドレイフアス社から大豆満船二船を代金C・I・F一六九ドルで買い受けたが、その輸入承認申請と信用状開設依頼のため、本日中に銀行と了解をつける必要がある。」旨をたまたま同会社で執務中であつた和田、秋野らに申し述べ、乙第一号証の三及びそのオリジナル、デユプリケートを呈示して署名を依頼したのであつた。和田、秋野らは、勿論、右依頼を拒絶したが、その懇請に負けて、右近藤らの依頼の趣旨により署名することを前提とし、銀行若しくは官庁手続の済み次第返還されるべきことゝの約束のもとで、和田が乙第一号証の三に署名したのであり、また、油五六号分は、参加人主張の日右同様被告会社の営業時間終了後右岡島康雄が被告会社に赴き、在社していた和田、秋野らに対し「ドレイフアス社から大豆満船一船を代金C・I・F一六五ドルで買い受けたが、銀行に見せるため、形式上署名してもらいたい。」旨を申し述べ、前記三通を呈示したので、和田、秋野らは、これを拒絶したところ、更にコピーである丙第三号証を提出し、用済み次第直に返還すると約束したので、和田は丙第三号証は、コピーであることゝ、さきに署名した乙第一号証の三は、右約束どおり返還を受けていたことにより、これに署名したのであつて、和田、秋野らにおいても、油五一号、油五六号の契約が成立していたことを認めたわけではない。

乙第一号証の三、丙第三号証が被告会社主張のような趣旨で作成されたものであることは、更に次の事情により明らかである。

(一)  右当時、信用状の開設につき、国内での売りつなぎの事実証明文書の提出を銀行から求められており、そのほかにも、輸入承認申請をするにあたり提出すべき輸入保証金を銀行から融資されるため、輸入申請者において売買契約書を入手する必要があり、これが偽造されたことがしばしばであつた。

(二)  殊に、高島屋飯田は、思惑輸入に腐心していたことは、前述のとおりであり、油五一号分につき同会社は、昭和二六年三月七日限度外申請をしたが、これがドレイフアス社との間では同月三日売買契約が成立しているものとし、参加人の主張だけによつても明らかに虚偽の事実を右申請に際し申告していたほどで、被告会社に対し仮装の売買契約書の作成を求めるくらいのことは、さほど突飛なことがらとは考えなかつたはずである。

(三)  英文契約書ではあつても、契約書として事実証明の文書であるとする以上は、少くともこれに取締役の署名がなされるのが、当然である。しかるに、乙第一号証の三、丙第三号証とも、単に和田五郎の署名がなされている丈で、高島屋飯田の者は、その事実を認識しているにもかかわらず、署名後和田を始め、被告会社の者に対して右取締役の署名を求めたことがなかつたのである。

(四)  高島屋飯田の右両書面の取扱いかたは、ずさんであり、重要書類であるべき契約書としての取扱いかたでなかつた。

すなわち、同会社は、乙第一号証の三を前述のように被告会社に返還したのであつたが、これにさきだち、同書面を写真にとり、更に、これに関連して公正証書を作成するなどの行為があつたのであり、丙第三号証は、当初の計画に従い、信用状開設銀行である富士銀行に提出したが、その後同銀行から返還を受けたこともなく、その返還を求めようともしなかつた。反面、被告会社においても、乙第一号証の三及びそのオリジナル、デユプリケート、油五六号分に関する同様書面三通は、仮装のものとして、なんらの価値も認めず、放置していたのであつた。

(五)  殊に、油五六号分の丙第三号証の作成日附は、昭和二六年四月二日であるが、参加人がその契約成立の日と主張するのは同年三月八日であつて、契約の成立後、実に約一ケ月を経過しているわけである。輸入手続中重大なことがらが、参加人主張のように、輸入承認が与えられるかどうか、信用状開設がなされるかどうかにかゝわりなく、契約の基本となるべき契約書の作成が、右のように時日を経過してなされることは絶無である。

(六)  後述するように、同年六月二日被告会社において、同会社の鈴木恭二、佐伯武雄、和田五郎らが、高島屋飯田の前記近藤、岡島、安井らと会談し本件売買契約は不存在である旨を明らかにするとゝもに、乙第一号証の三、丙第三号証は、いずれも仮装のものである旨を申し述べたところ、高島屋飯田の右の者らは、これに対しなんらの反省も加えることができなかつたのである。

つぎに、前段参加人四、の(1) 、(2) の事実に対する答弁として述べたように、和文契約書の作成は、商慣習上売買契約の成立要件に属するものであるが、油五一号、油五六号分ともに、和文契約書は作成されていず、また、従前、被告会社と高島屋飯田との間の折衝の過程においてこれが作成を求められたこともなかつた。

八、の事実について。

同(一)の主張事実中、昭和二六年三月二二日油五六号分につき富士銀行が信用状の開設をし、油五一号分につき東京銀行が信用状の開設をしたこと、高島屋飯田が、参加人主張の各船舶の荷揚港指定を被告会社に求めなかつたこと、同主張事実(二)中、同年六月二日被告会社において前述のように鈴木、佐伯、和田らが、前記近藤、岡島、安井らと面談し、鈴木らが参加人主張のような趣旨のことを申し述べて、本件売買契約が不存在である旨を明らかにしたこと、その後高島屋飯田常務取締役飯田俊季、同会社会長飯田東一らが被告会社の者との間で折衝を行つたがその協議がとゝのわなかつたこと、同主張事実(三)中、参加人主張のころ油糧輸出入協議会が結成され、金融のあつ旋を行う目的で、参加人主張のように商社の輸入大豆で手持となつたもの及び転売契約を結んだものゝうち、転売さきの資力不十分なものゝ大豆数量並びにその金額につき調査を行い、高島屋飯田は本件契約分を手持品であるとして右協議会に報告したことは認めるが、その余の点は争う。

(一)  高島屋飯田の輸入手続上の行為について述べる。

まず、本件売買契約は、油五一号分、油五六号分ともに、米国政府の輸出許可取得が条件であつたというのであるから、その許可があつたかどうかは、契約の履行につき基本的問題であり、従つて、その許可の有無を被告会社に通知するのが当然の措置であることは、いうまでもないところである、しかるに、高島屋飯田は、右許可の有無につきなんらの通知もしなかつたのであり、これは、本件売買契約が成立していないものであることを同会社自身において自認していたからである。

つぎに、輸入貨物につき、殊に積期特定のうえなされた売買契約においては、貨物の本船積込があつたとき、売主は遅滞なくその船積の事実を買主に通知すべきものであり、かような船積案内の義務は、商慣習上国際的に承認されているところである。また、売主は、買主に対し荷揚港の指定を求め、入港予定日を通知し、着荷通知をする等一連の義務をおうのであり、これまた、商慣習上是認されているところである。しかるに、高島屋飯田は、被告会社に対し右通知若しくは案内をするわけではなく、また、被告会社に対し荷揚港の指定を求めたこともなかつた。被告会社の大豆搾油工場が横浜にあることを前提として、参加人主張のように荷揚港を横浜港とする旨の了解が右両会社間にあるわけがないことは勿論である。もつとも、高島屋飯田は、前段参加人二、の主張に対し述べたように、参加人主張の三船がその主張の各港に入港した旨の通知を被告会社にしたのであつたけれども、右通知は油五一号、油五六号の着荷通知としてなされたものではない。

(二)  被告会社は、昭和二六年五月本件売買契約による代金支払期日の延期を申し入れ、ついで、本件三船分中一船につき契約の合意解除と他の二船につき代金減額の申し入れをすべきはずがなく、事実は、高島屋飯田が岡島を通じ代金を漸次減額してまでも被告会社の買付を懇請したのである。すなわち、高島屋飯田は、同年三月上旬前述のように大豆の買付かたを被告会社に申し出、これを拒絶されていたのであつたが、更に同月中旬、岡島がさきに被告会社に対し申込をしたC・I・F一六九ドルのもの二船分中一船と、新たにドレイフアス社から申込を受けたC・I・F一六五ドルのもの一船とを合わせ、C・I・F一六七ドルで二船分を買い受けてもらいたい旨を秋野に申し出たのであり、秋野はこれを拒絶していた。そうして、更に、同年五月近藤、安井らは、代金は、被告会社の希望に応じ減額することゝし、一船分を買い受けてもらいたい旨を申し述べて秋野に懇願したのであつた。その間、同年四月下旬前記近藤は、高島屋飯田、ドレイフアス社間の往復電信、米国運賃状況週報、穀物取引情報、運賃市場報告書等の資料を被告会社に持参し、さきに申出て拒絶された大豆の売申込の承諾を求めたのであつて、油五一号、油五六号分とも売買契約が成立していたものとすれば、近藤が右行為に及ぶはずがないのである。そうして、被告会社のたびたびの拒絶にもかゝわらず、同年六月二日参加人主張の近藤ほか二名が被告会社に来社し、右大豆の買受を懇請したので、被告会社としても、その申出を終局的に拒絶するため参加人主張のように鈴木、佐伯、和田らが出席のうえ高島屋飯田との間には売買契約は存在せず、同会社から大豆買付の意思がない旨を表示したのであつた。ところが、右近藤らは、被告会社の右の者らに対し反論を試みることもなく、退去し、その後においても、油五一号、油五六号分の契約の成立を前提とする申出もなく、飯田俊季、飯田東一らも、たゝ被告会社に大豆の買受かたを申し出たにとゝまるのであつた。

(三)  油糧輸出入協議会に対する高島屋飯田の報告について。被告会社が同協議会の調査による資力不十分な転売さきにあたらないものであることは、明らかなところであり、高島屋飯田が、本件大豆を手持品として報告したのは、とりもなおさず同会社が本件大豆を転売さきのなかつたもの、すなわち、純然たる思惑輸入によつたもので、被告会社に売却していたものでないことを自認していたわけである。

九、の事実について。

原、被告会社間において参加人主張の大豆売買契約に関し現に当裁判所に昭和二八年(ワ)第四、九二八号損害賠償請求事件が係属していること、同事件で被告会社は、売買契約の成立に関し参加人主張のような主張をしていること、参加人主張のような覚書(乙第九号証の一)、並びに書面(乙第九号証の二)が作成されたことは認めるが、その余の点を争う。原、被告会社間において、参加人の同項目主張のような売買契約は成立していない。

本件紛争並びに右別件訴訟事件の紛争は、高島屋飯田並びに原告会社がその思惑輸入による損失を事実を虚構して被告会社に転稼せしめようとする計画的行為である。

一〇、の事実について。

同(一)の主張事実中、高島屋飯田が本件貨物につき荷揚港の指定を被告会社に求めなかつたこと、被告会社が参加人主張のころから本件売買契約の不存在を主張していたこと、同(二)の主張事実中、高島屋飯田が、被告会社に対して参加人主張のような債権を有し、昭和三〇年八月五日これを全部参加人に譲渡したものとして、同日高島屋飯田から被告会社に対しその旨の通知がなされ、これが、翌六日被告会社に到達したことは認めるが、その余の点を争う。

仮に、本件売買契約が成立したものとしても、高島屋飯田のした前記契約解除の意思表示は、法律上無効のものである。

輸入貨物の売買においてその目的物引渡義務の履行の提供として売主は、商慣習上、買主に対し船積案内、入港予定日の通知着荷案内をし、また、これにさきだち荷揚港の指定を求めるべきものであることは、前段参加人八、の主張に対し述べたとおりである。しかるに、高島屋飯田は、右の点に関し被告会社に対してなんらの通知もせず、また、荷揚港の指定をも求めなかつたのである。参加人主張のように右売買契約の成立当初、荷揚港を横浜港とする旨の了解がなかつたことは、前述のとおりであり、従つて、高島屋飯田において適法な履行の提供を欠くわけであるから、右契約解除の意思表示は、無効である。

一一、の事実について。

同(一)の主張事実中、参加人主張のころ為替レートが一ドルにつき金三六一円五五銭であつたこと、同(八)の主張事実中、被告会社が参加人主張のような定めの約束手形三通の振出をしなかつたこと、高島屋飯田が東京銀行及び富士銀行に信用状の開設を依頼したことは、認めるが、その余の点を争う。

以上のように述べ

証拠として、乙第一、二、三号証の各一、二、三、第四ないし第六号証、第七号証の一、二、第八号証、第九号証の一、二、第一〇号証、第一一号部の一、二、第一二号証、第一三号証の一ないし四、第一四号証、第一五号証の一、二、三、第一六号証、第一七号証の一、二、第一八号証(第一七号証の一、二、第一八号証は各写)、第一九、二〇号証の各一、二、第二一号証、第二二号証の一ないし四、第二三ないし第二八号証、第二九、三〇号証の各一、二、三、第三一、三二号証の各一、二、第三三、三四号証、第三五号証の一、二、第三六、三七号証、第三八号証の一、二、第三九ないし第四二号証、第四三号証の一、二、第四四、四五、四六号証を提出し、証人鈴木恭二、佐伯武雄、渡辺文蔵、和田五郎(第一、二回)、秋野享三(第一、二回)、西川嘉一(第一、二回)、福井孝雄、大平房次、佐々木邦彦、松平一郎、伊庭野健治、桃井哲夫、田付千男、西尾定蔵、普川茂保、磯野千鶴男の各証言及び被告会社代表者道面豊信本人尋問の結果を援用し、丙第一号証の一、第二号証の一中、確定日附部分、第三号証中、和田五郎の署名部分、第四、五、六号証の各一、二、第八七号証の一のイ、ロ、同号証の二、第八八号証、第八九、九〇号証の各一、二、第九二号証の一、二、第九三号証、第九五号証の一、二、第九六号証、第一〇〇号証の一、二、三、第一〇四号証の一、二、第一〇五、一〇六号証の各一、二、三、第一〇七、一〇八号証の各一、二、第一一五各部の一ないし六、第一一六号証の一、二、第一一七号証の一、二、同号証の三のイ、ロの各成立(第一一七号証の三のイ、ロは、原本の存在並びにその成立)を認め、第二号証の一中、日附部分を除くその余の部分の成立、第三号証中、和田五郎の署名部分を除くその余の部分、第一六号証の一ないし五、第八七号証の三を除き、その余の丙号各証の成立は不知、同第一号証の二が油五一号分の英文契約書であることは認めるが、同第二号証の二、第一六号証の一ないし五が参加人主張のような写真であることは不知と述べ、同第一号証の一、二、第二号証の一の確定日附の部分、第八八号証、第八九号証の一、二、第九〇号証の一、二第九三号証、第一〇〇号証の一、二を利益に援用すると述べた。

原告会社は、被告会社の承諾を得て本件訴訟から脱退した。

理由

第一参加人主張の本件売買契約てい結時の前後におけるわが国輸入管理の方式並びに輸入申請に附随してなされる輸入申請者の行為につき、考える。

(一)  外国貿易は、昭和二五年一月一日からいわゆる民間貿易の実施期に入つたのであるが、国は、外国貿易の正常な発展をはかり、国際収支の均衡、通貨の安定、外貨資金の有効な利用等の目的のため、外国為替及び外国貿易管理法(以下単に管理法という。)第二一条第二二条により、対外支払手段、すなわち、外国通貨または外国で支払手段として使用することができる支払手段を国の手に掌握するものとし、同法第三条に基き、内閣に設置された閣僚審議会をして外国為替予算を作成せしめ、輸入に伴い生ずべき外貨の支払は、その予算の範囲内でなされるべきものとする。

(二)  右外国為替予算は、通商産業大臣が定めて、公表する、いわゆる輸入公表により実施に移される。すなわち、輸入貿易管理令(以下輸入令という。第三条は、通商産業大臣は、外貨予算に基き、閣僚審議会の定めるところに従い、輸入の承認を受けることができる貨物の品目、貨物代金の決済に使用されるべき通貨または特別決済勘定(決済通貨)、一品目の貨物につき一定の期間に同一の者が輸入の承認を受けることができる限度(輸入限度)、貨物代金の決済が行われるべき会計年度の半期(決済期)貨物の船積の行われるべき地域(船積地域)、その他貨物の輸入につき必要な事項を公表するものと定め、輸入貿易管理規則第一条によれば、右公表は官報、通産省公報通商弘報等に掲載される。そうして、右輸入公表は、輸入令第四条により、後に述べるように外国為替銀行が輸入承認をするについての基準となるべきものである。

(三)  貨物を輸入しようとする者は、管理法第五二条、輸入令第四条第一項により、外国為替銀行に申請書を提出して輸入の承認を受けるべき義務をおう。外国為替銀行とは、管理法第一〇条によれば、大蔵大臣の認可を受けて外国為替業務を営むことができるものとされた銀行をいうのであり、銀行固有の業務である外国為替に関する営業を営むと同時に、管理法第二一条、第二二条所定のような、国の事務である為替管理の事務を代行するものであり、右輸入承認申請の受付、その受理の事務も国の事務を代行するわけである。右申請書は、輸入貿易管理規則第二条第一項により同規則所定の様式によるべきものであり、これには、商品整理番号、品名、決済通貨、または決済勘定、船積地域、外貨金額、決済期等が表示されることを要し、輸入承認の申請には、同条同項により同申請書五通を提出しなければならない。

輸入令第四条第二項によれば、外国為替銀行は、輸入の承認をするかどうかにつき実質的に申請の内容を審査する権限がなく、同条項一号ないし六号所定の要件が満足されているかどうか、すなわち、当該貨物の輸入が右輸入公表に定められた事項の範囲内であるかどうか、外国為替予算の残額があるかどうか、また、外貨資金の使用が可能であるかどうか、当該貨物の割当が後述の外貨資金割当制によるべきものとされているときは、その割当を受けているかどうか、後述のように通商産業大臣の事前許可を受けるべき場合は、その許可を受けているかどうか等についてのみ審査を行うだけで、これらが満足されていると認定するときは、輸入の承認をすべき義務がある。そうして、輸入の承認は、同令同条項、輸入貿易管理規則第二条第二項により、当該申請書に承認の旨を記入し、これを輸入承認証として申請者に交付してなされるのである。

(四)  輸入の承認とは、外国為替予算に計上されている品目を予算額の範囲内で一定の通貨、または勘定により輸入することを承認するとの意味を有するのであり、従つて、外国為替管理令第一一条により、一般に制限または禁止されている対外支払が、承認を受けた限度で解除され、その支払がなされうるものとなる。

輸入の承認は、かような意味と効果を有するものであるが、その承認は、輸入令上、三種類に分けられている。すなわち(イ)先着順制度、(ロ)外貨資金割当制度、(ハ)自動承認制度がある。

(イ)  先着順制度。輸入令第四条第二項第二号の二によれば、閣僚審議会は、外国為替予算において輸入の承認が先着順によりなされるべきものと定めることができるものとされており、この場合、外国為替予算は、通貨または、勘定品目別に作成され、後述のように日本銀行は、外国為替銀行から毎日外国為替予算使用の確認の請求を受けるが、これが確認は、一日を単位とする先着順をもつてなされるものである。

(ロ)  外貨資金割当制度。輸入令第九条によれば、閣僚審議会は外国為替予算において外貨資金の割当を行うべき品目を定めることができるのであり、この制度は、わが国において不足する物資、一定量以上の輸入が国内経済に悪影響を及ぼすおそれがある物資等につき輸入の調整をはかるために認められたものである。そうして、この場合、外国為替予算は、通貨または、勘定別に作成されるのであり、輸入令上外国為替銀行は、右のように予算残額を確認する義務がない。

(ハ)  自動承認制度。輸入令第四条第二項第二号によれば、閣僚審議会は、外国為替予算において輸入の承認が自動的になさるべきものとする品目を定めることができる。弁論の全趣旨によれば、この場合、外国為替予算は、通貨、または勘定別予算品目別予算はなく、地域別すなわち、いわゆる米ドル地域スターリン地域オープン勘定地域ごとに総金額が定められるだけで、右所定の品目にあたる貨物で、外国為替予算に残額がある限り、輸入承認は自動的に与えられるものであること他面、右予算残額が存在しなくなつたときは、行政措置として輸入承認申請の受付が停止されるものであることが認められる。

(五)  右(イ)及び(ハ)の制度による輸入承認申請がなされた場合、外国為替銀行は、外国為替予算の使用の確認に関する規則第一条により毎日遅滞なく日本銀行に対し外国為替予算使用確認を請求しなければならないのであり、同規則第二条、第三条によれば、日本銀行は、外国為替予算の残額と照合して右請求を確認または確認しないものとし、その旨を遅滞なく右請求をした銀行に通知しなければならないのである。

(六)  右のようにして、申請者に交付された輸入承認証は、輸入令第七条によりその交付の日から六ケ月間に限り有効であるものとされており、従つて、同期間内に当該貨物が輸入されなければならないのである。

(七)  貨物を輸入しようとする者は管理法第五五条第一項、輸入令第一三条により輸入承認申請書の提出と同時に申請書記載の貨物の価額に、通商産業大臣が閣僚審議会の承認を受けて定める比率を乗じて算出した円価額に相当する保証金または、これに相当する担保を当該銀行に預け入れるべき義務が課せられ、右輸入担保は、同法第五五条第二項により、前記輸入承認証の有効期間内に輸入がなされなかつたとき国庫に帰属せしめうるものとされる。

(八)  貨物を輸入しようとする者は、右輸入の承認を受けるまえに通商産業大臣の許可を受けなければならない場合がある。前記輸入公表で定められた輸入限度を超えて輸入しようとするとき(以下、限度外申請という。)標準決済方法に関する規則所定の輸入の標準決済方法によることなく、輸入しようとするときは、右事前許可を受けるべき場合にあたる。(輸入令第一〇条)右通商産業大臣の許可を申請するについては、輸入貿易管理規則第六条第一項により前記輸入承認申請書五通に事由を具した書面を添えて通商産業大臣に提出してするのであり、同条第二項によれば、右許可は、当該申請書許可欄にその旨を記入してなされる。

(九)  貨物を輸入しようとする者は、右輸入の承認を受けた後通常二〇日以内にその取引銀行に対し商業信用状の開設を依頼するものであることは、当事者間に争がない。そうして、弁論の全趣旨によれば、右信用状開設銀行は、前記外国為替銀行すなわち輸入承認申請書の提出あてさきの銀行と同一銀行である場合もあり、または、これを異にする場合もあることが認められる。商業信用状(以下、信用状と略称する。)は、銀行の信用により隔地者間の貨物売買代金の支払を、早期かつ円滑になされることを目的とするものであり、信用状開設銀行は、売主振出、同銀行、または他の特定人を支払人と定めた為替手形を引き受け、これを支払うべきことを手形外の関係で約束するものである。通常輸入貨物代金の支払は、売主が輸入地の銀行を支払人と定めて為替手形を振り出し、輸出地の銀行がこの手形を買い取ることにより、まず決済されるものであり、信用状は、その開設銀行が右手形を引き受け、その支払を確約する意思表示を包含するものである。かようなことがらは、当裁判所に顕著な事実である。

以上が、輸入管理の方式並びに貨物を輸入しようとする者のなすべき行為の大略である。もつとも、右輸入承認申請、限度外申請、銀行に対する信用状開設依頼に際し、申請者または依頼者が国内での売りつなぎの事実証明文書を提出するとの慣行があつたかどうかの点は、後に譲る。

第二参加人主張の本件売買契約てい結時の前後におけるわが国の大豆輸入の情況について考える。

(一)  昭和二五年六月いわゆる朝鮮事変が発生し、これが第三次世界大戦に発展するのでないかとのおそれが政治、経済、社会の各方面を通じて起つたこと、ところが、昭和二六年六月休戦会談が始められ、遂に妥結するに至つたことは、公知の事実である。

(二)  右公知の事実に成立に争のない内第一〇〇号証の一、二、証人西川嘉一の証言により真正に成立したものと認める乙第七号証の一、二、証人西川嘉一、福井孝雄、大平房次、杉山金太郎、島崎龍雄の各証言を総合すれば、次の事実が認められる。

(イ)  わが国は、終戦前満洲から大豆を輸入し、その余剰分を外国に輸出したほどで、その限りで大豆の輸出国であつたところ、終戦後、右大豆の輸入の途がなくなり、他面、国内での平均需要量は、一年につき約六〇〇、〇〇〇トン、そのうち、国産大豆により約二〇〇、〇〇〇トンをまかなうことができたから、輸入を仰くべき分は約四〇〇、〇〇〇トンであつたが、昭和二五年七月から昭和二六年六月までの間にガリオア資金により米国から輸入されるべきものと予定され、米国により許容されていた輸入量は、約八〇、〇〇〇トンであり、その残余約三二〇、〇〇〇トンがわが国の独力で輸入さるべきものであつたところ、その輸入さきは、米国を措いてほかにはなく、昭和二六年一月ないし三月の期間中でその輸入分として一〇〇、〇〇〇トンないし一五〇、〇〇〇トンの米国産大豆が予定されなければならなかつた。

(ロ)  ところで、右事変の発生後、諸外国は、物資の買付に乗り出し、従つて、物価は逐次高騰したわけで、米国産大豆もこの例に洩れるものではなかつたが、更に、右既定のガリオア資金により日本に輸入すべき米国産大豆は、現実には昭和二六年一月末日において約一〇、〇〇〇トンが輸入されたに過ぎず、国内大豆の在庫量も僅かとなつたから、わが国政府は、一般的に備蓄輸入の名のもとに諸物資の買付を奨励したほかに、殊に、米国産大豆の輸入の促進をはかるべきものとした。

(ハ)  右情勢のもとにあつたところ、米国において物価統制令が施行され、大豆についても最高価格が定められたので、これを契機としてわが国は、昭和二六年二月二二日米国産大豆を前記自動承認制の適用を受けるべき品目中に組み入れ、これが公表されたため、その輸入承認申請が殺到し、その承認量が前記輸入予定量を遥かに超過して、ほゞ二六〇、〇〇〇トンないし二七〇、〇〇〇トンに達したので、政府は急いで、同年三月一〇日右輸入承認申請の受付停止の行政措置を講じた。

(ニ)  右受付停止がなされると、たゞちに油脂関係業者間に右輸入承認量がいかほどに達し、従つて、輸入過剰となる旨が伝わり、かような事実に加えて、同年五月までの間に右朝鮮事変につき和平の気運が動き、国外の一般的物資の需要は、緊張を解いたことに基き、大豆相場は、国の内外を問わず、下落した。すなわち、わが国につきこれをみるに、大豆相場は、右受付停止に至るまで日増しに上昇し、右受付停止の前後ころ、当時日本向け米国産大豆の船積地であつたメキシコ湾船積のもので、一キロトンにつきほゞC・I・F価格一六〇ドルないし一六二ドルであつたが、最下落時には、その四割ないし五割の価格となつたのである。かようなわけで、右輸入承認を受けた大豆が、わが国に到着したころは、既に相場の右変動により、後述(へ)のように国内での売りつなぎを持たず、いわゆる思惑で輸入されたものは、転売さきがなく、売買契約を成立せしめたうえ輸入されたものも代金の支払に危険を感じ、または、買主の引取拒絶を受け、輸入滞貨の激増の現象が現われた。

(ホ)  右のような朝鮮事変の影響による景気の上昇は、生産者の面からみれば、生産の増加により利益の増加をはかりうるものとして現われたのであり、これを前提としてわが国の経済取引は活発化し、俗に一、三ブームと称され、また、積極的に輸入がはかられ、かつ、大豆と同様の運命をたどつたものに、ゴム、皮革があり、これらは、大豆とゝもに当時「新三品。」との名称をもつて呼ばれておりそのほかにも、右と同称の結末をみたものに、原綿原毛等があつた。

(へ) 右大豆の売買は、対外的には、わが国の商事会社が米国の商事会社から直接または、その日本の支店、すなわち、いわゆる在日外商から買い受け、国内的には、実需者である製油会社、その他の大豆の消費業者は、わが国の商事会社から買い受けていたものであり、右自動承認制の実施期間中、前記米国の所定最高価格で買申込をしても、売主がなかつたことがあるほど、対外関係では売手市場てあつた。そうして、国内の商事会社中、前記好況が将来にわたり継続するものとの見込みで、実需者との売買契約により裏付けられることなく、思惑で外商との間に売買契約を結んだものも存在した。

(以上の事実中、わが国の大豆輸入が米国に依存していたこと、国内大豆保有量の不足に関する事実、自動承認制施行の経済並びにその施行の日、同受付停止の経緯並びにその停止の日に関する事実は、当事者間に争がない。)

以上の事実が認められる。そうして、かような事実に基けば、思惑輸入の根源が商事会社にあつたものであるが、実需者にあつたものであるかの論点は、さておき、右両者とも、米国産大豆の輸入の成否に関心を寄せ、これを確保しようと努めたことは、容易に推測することができる。証人和田五郎(第一回)、鈴木恭二の各証言、被告会社代表者道面豊信本人尋問の結果中、右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

第三輸入貨物に関する売買契約の成立の方式並びにその時期につき、参加人は、無方式であり、当事者の意思の合致があつたとき成立するものと主張し、被告会社は、単に意思の合致があつた丈では足りず、書面の作成行為を要し、かつ、輸入貨物の引渡に要すべき事項全部が表示されるべきものとする商慣習があると主張する。

(一)  まず、成立に争のない乙第一三号証の一ないし四、同第三四号証によれば、海外にある物品についての売買契約の条項には、商慣習上、C、I、F約款、F、O、B約款、その他数種の態様のものがあること、右C、I、F約款とは、売主が目的物を契約所定の到着港まで運送するため運送契約を結び、所定期間内に船積をし、かつ、買主のため、目的物の運送上の危険につき保険契約を結び、右運送契約、保険契約に基いて得た船荷証券、保険証券、すなわち、船積書類を買主に交付し、買主は、これと引き換えにその代金を支払うものであり、その代金は、目的物の価格に運賃、保険料を加算して定められたものであり、F、O、B約款は右と異なり、売主は、船積期間内に買主の指定した積込本船に船積すれば足り、みずから船主と運送契約を結ばないし、また保険契約を結ぶこともなく、その代金は、目的物の本来の価格に船積に至るまでの費用を加算したもので定められるとするものであることが認められ、弁論の全趣旨によれば、右物品の売買は右態様のものゝほか、引渡場所は、買手倉庫、代金は、その倉入れに至るまでの費用全部を含めて定めることによりなされる場合もあることが認められる。

ところで、後記のように高島屋飯田、被告会社間において米国産大豆九、〇〇〇トンにつき数量一割増減売手勝手のことゝの定めで、売買契約(高島屋飯田契約番号油第四四号)が成立し、その代金が支払われ、右目的物の授受がなされて同契約が終了したのであるが、この契約につき検討するに、乙第三号証の一の英文契約書によれば、同書面は、昭和二六年二月八日附で高島屋飯田常務取締役飯田俊季、被告会社常務取締役鈴木恭二の両名間で作成されたものであることが認められ、それには、「(一)目的物(二)数量は、いずれも、前述のとおり、(三)船積は、ガルフ湾沿岸港出港の船舶一船、同年二月ないし三月附の船荷証券によること。(四)価格はC、I条件(目的物価格に保険料を加算したもの。)で、一キロトンにつき一三〇ドル、運賃は、一キロトンにつき二五ドルとし、実運賃の判明後確定すること。(七)買主は、陸揚港での通関手続終了後たゞちに日本円表示の約束手形を売主にあて東京で振り出すこと。同約束手形は、積出人振出の輸入為替手形に対し売主のため与えられたユーザンス支払期日の五日前に決済されること。(六)目的物は撒で引き渡され、重量、数量、分析は、米国船積港における証明書の記載を最終的のものとすること。(七)売主は特担分損不担保条件による通常の海上保険を附すること。」等の記載があり、これを通じてみれば、右契約は、前記C、I、F約款による売買の型態に属するものであることが明らかである。

また、乙第三号証の二、弁論の全趣旨によれば、同書面は、右英文契約書作成後、日附を遡期して右英文のものと同日附で高島屋飯田代表取締役飯田東一、被告会社代表取締役道面豊信間で作成された和文の契約書であることが認められ、これには、「(一)目的物、(二)数量は、いずれも前述のとおり。(三)価格は、単価一キロトンにつき五八、八〇三円、総額五二九、二二七、〇〇〇円。(四)受渡期限は、昭和二六年四月一五日まで産地積(米国メキシコ湾内の一港。)(五)受渡場所は、被告会社横浜工場倉庫渡、(六)受渡条件、数量は、産地送り状記載数量により、重量検定を日本油料検定所で行い、送り状数量に対する欠減か、一%を超えるときは、超過部分につき、右契約単価に基き売主の負担とすること。(七)右代金の支払は、本船到着と同時に売主あてに支払期限六〇日の約束手形を振り出すこと。(八)引渡荷姿は撒であること、(九)右代金中に含まれている輸入港諸がかり(船内荷役から倉入れまで。)である、一トンにつき四三五円三五銭の金員は、輸入港においてその料金率の改正があつた場合、現物入港の際の料率により調整することができること。(一〇)袋代、袋詰賃は、買主の負担とすること。(一一)輸入港でくん蒸の必要がある場合、輸入税が賦課されるときは、買主の負担とすること。」等の記載があり、前記英文契約書の条項と対比すれば、受渡場所を被告会社横浜工場倉庫と変更し、これを前提として荷おろしから倉入に至るまでの費用を売主負担として、円価に換算して代金を算定したものであり、そのほか、通関及び保管中に生ずべき費用についてまでも、約定されているものであることが明らかである。

そこで、輸入貨物の売買契約が成立した場合、一般に、右のような英文契約書和文契約書が当然随伴するものかどうか、かような契約書の法的意味について、考える。

(イ)  証人秋野享三、西川嘉一岡島康雄、近藤一雄(以上、いずれも、第一回)、島崎龍雄の各証言を総合すれば、輸入貨物につき、国内において売買契約が成立した場合、前記のような英文契約書が必ずしも作成されるものとは限らず、これを省略して、前記のように、円建で倉入価格(これは持込値段とも称される。)を表示した和文契約書表示の内容類似の和文契約書が作成されるだけの場合もあり、実際上その取扱いは一定していないけれども、いずれにしても、通常、契約内容を表示した文書が作成されるものであること、前記のような英文契約書が作成されたのは、高島屋飯田において前記契約の目的物につき外商(これは、後記認定のようにルイドレイフアス株式会社)との間で契約が成立するに至つたので、その契約内容と被告会社との間の契約内容との不一致を回避するためであつたことが認められ、

(ロ)  成立に争のない乙第三四号証、同第三八号証の一、証人西尾定蔵の証言を総合すれば、右(イ)のように契約書が作成されるのは、契約の存否に関し、後日生すべき紛争に備え、その証拠として保存するとの要請に基くものであることが認められ、

(ハ)  他方、証人松本季三志、太田静男、島崎龍雄、黒川正雄の各証言によれば、大豆を含め、およそ穀物類には、連日相場の変動があるのが、常態であり、かつ、その取引においては、当事者相互の競争が、激烈であることが認められ、一般に商取引は、信用の存在を前提として成立するものであることは、右証人松本、島崎、太田らが供述するとおりである。

かような事実に基き、考えるに、若し契約書の作成をもつて売買契約が成立するものとすれば、売手の場合においても、買手の場合においても、商機を逸する事態も発生するであろうことは見易いところであり、また、信用を前提とする限りは、契約書という証拠がないことによる不安は、一応排除するほかないから、本件大豆のように、相場の変動があり、また、いわゆるさき物取引の場合においても、民法の定める諾成契約の原則をくつがえし、契約の成立を書面の作成という要式行為にかゝらしめるべき合理性は乏しいものといわなければならない。また、わが国の社会一般において契約が結ばれた際、これに基き書面を作成することをさえ嫌う風習があることは、公知の事実に属するところ、証人杉山金太郎、飯田俊季(第一回)の各証言によれば、わが国の一流製油業者である豊年製油株式会社では、まさに右理由で契約書の作成を求めないことが認められる。これらの事情を併わせ考えれば、輸入貨物の売買において、当事者の意思の合致があつたとき、売買契約は成立し、被告会社主張のような商慣習があるわけのものでなく、前記契約書は、通常作成されるものであるけれども、それは既存契約の確認のためのものと認めるのが、相当である。

(二)  つぎに、契約は、申込、承諾のそれぞれ相手方に対する意思表示により成立するわけであるが、成立に争のない乙第三四号証同第三八号証の一、証人太田静男の証言を総合すれば、わが国貿易業界において、申込、承諾の意思表示がなされるまでの商談を引きあいといゝ売手からの申込をオフアー( offer )、買手からの申込をビツド( bid )若しくはオーダー( order )と呼びならわされていること、ビツドには、通常二四時間の有効期限が附されるものであることが認められる。(上掲各証拠によれば、右オフアービツドにつき確定のものと不確定のものとに分類されていることが認められるが、本件では、かような分類は、重要でない。以下、売手からの申込を売申込、買手からの申込をビツドといゝ、いずれも確定のものを指す。)ところで、弁論の全趣旨によれば被告会社は、有効期限附きのビツドは、書面により成立するものとする商慣習があると主張するものと認められるので、この点につき、考えるに、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第一四号証、乙第三八号証の二は、その趣旨自体によりビツドの型であることが明らかである。しかしビツドにつき、右書面の作成が要請されるのは、その書面の余白に売主の署名を得ておき、将来の紛争に備えるものに尽きることは、前掲乙第三八号証の一、証人西尾定蔵の証言に徴し、うかゞえるから、前段(一)に述べたところと同様のわけで、被告会社主張のような右商慣習は存在しないものと認めるのが相当である。

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第八号証右乙第三八号証の一、成立について争のない乙第三九、第四〇号証、第四二号証、証人鈴木恭二、西川嘉一、秋野享三(第一回)、和田五郎(第一回)の各証言及び被告会社代表者道面豊信本人尋問の結果中、右(一)、(二)各認定に反する各記載各供述部分は、信用できないし、他に右認定を動かすに足りる証拠がない。

(三)  前記英文契約書によれば、前記和文契約書記載のような船内荷役から倉入れに至るまでの輸入諸がゝり、銀行諸がゝり(信用状開設手数料、いわゆる為替予約料等)の費用の負担、売主買主のいずれが、倉入れに至るまでの行為を行うかにつき、なんらの合意もなされてはいない。なるほど、証人和田五郎(第一回)佐伯武雄の各供述のように、実需者は、その買受物品が工場に倉入れされるかどうかということに利害を感ずるものであるけれども、前記英文契約書表示のような約束によつても、船積書類の提供を受けて、到着港で積込本船から貨物を受領すれば足り、従つて、右の諸点につき合意がなく、実需者の終局的な期待が、右英文契約書表示の約束丈からでは、直接的に満足されないとのことをもつて、たゞちに、被告会社主張のように、前記和文契約書表示のような細目の点の合意がない限り、商事会社、実需者間で貨物の売買契約が成立しないものとする商慣習があるものと認めることができないし、その他本件全証拠を通じてみても、右慣習の存在を認めしめるに足りる資料がない。

(四)  つぎに、前記のような各契約書の署名者の資格につき、業界において、なんらかの慣行があるかどうかにつき考えるに、前記英文契約書の署名者は、当事者双方とも常務取締役、和文契約書は双方とも代表者であり、証人佐伯武雄は、これが慣行である旨を供述する。しかし、乙第三四号証によれば、右署名者は、当該業務担当の部長、課長、若しくは、係長等の責任者であるのが、通常である旨の記載があり、証人杉山金太郎も同趣旨を述べるのであつて、契約書ほんらいの意味が前記のように事実の確認にとゞまるものであることを併せ考えれば、右署名者の資格について、特定の慣行があるわけのものでなく、当事者の自治に委ねられているものと認めるのが相当である。証人佐伯武雄の右証言は、信用できないし、他に右認定に反する証拠はない。

第四高島屋飯田は、主として輸出入貿易業を営んでいた会社であり、原告会社は、これと同種の営業を営む会社であることは、当事者間に争がなく、弁論の全趣旨によれば、昭和三〇年九月一日前者が後者に吸収合併されたこと(その合併の日附の点は当事者間に争がない。)が認められ、証人飯田俊季(第一回)飯田東一の各証言によれば、高島屋飯田は、大正五年設立されその後引き続き右営業を営み、殊に、わが国において羊毛に関しては最も多い取引をしている実績を有するものであることが認められ、証人佐伯武雄、鈴木恭二被告会社代表者道面豊信本人尋問の結果によれば、被告会社は、調味料の製造販売、製油油脂加工品等の製造、販売を営む会社であること、同会社の製造、販売にかゝる商品「味の素。」は、大豆から油脂分を搾り脱脂大豆を得、これと小麦粉とを原料として製造されるものであることが認められ、以上の認定に反する証拠に反する証拠はない。(但し協和醗酵株式会社と味の素の製造に関する協定をしない以前)

第五つぎに、契約番号油四四号(ジーンLD号積込分)について検討する。

(一)  前記乙第三号証の一、二、成立に争のない同第一二号証、同第二五号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第一〇号証、証人近藤一雄(第二回)の証言により真正に成立したものと認める丙第一一二号証、同第一一三号証、証人近藤一雄(第一回)、岡島康雄(第一回)福井孝雄安井泰一郎(第一回)、秋野享三(第一、二回)、和田五郎(第一回)の各証言に、前記第三において述べた売買契約の成立に関する事情を総合すれば、昭和二六年二月初めころから高島屋飯田物資部食糧課主任岡島康雄、被告会社業務部企画課員秋野享三間に北米産大豆の売買に関し引きあいが始められ、その結果、同月八日までの間に岡島康雄並びに高島屋飯田物資部次長近藤一雄と被告会社企画課長兼業務副部長和田五郎、同部長佐伯武雄、同企画課員秋野享三との間に被告会社が高島屋飯田から「(一)米国産大豆九、〇〇〇キロトン(二)価格C・I・一三〇ドルC、I、F一五三ドル、たゞし、海上運賃は後日確定のこと。(三)船積二、三月積、船積港米国ガルフ湾の一港、陸揚港横浜。」という定めで右物品を買い受ける旨の合意が成立し、なお、その際、高島屋飯田と後述の外商ルイドレイフアス株式会社( Louis Dreyfus 以下、ドレイフアスと略称する。)との間の売買代金の決済は、右当時外貨のオープン地域であつたインドネシアを経由する旨の約束が成立したこと、(右合意が、岡島康雄の売申込によるものであるか、秋野享三のビツドによるものであるかの点は、さておく。)高島屋飯田は、同月七日右ドレイフアスから右大豆を買い受け、被告会社の右の者らとの合意に基き前記英文契約書を作成し、同月九日前記鈴木恭二の確認の署名を得たものであること、そうして同年二月下旬高島屋飯田、ドレイフアス間で右貨物積込本船としてジーンLD(Jean.L.D.)号が決定し、ついて、安井、秋野間で、右に関する海上運賃、輸入諸がかり、銀行諸がかり、口銭につき協議された結果、右諸費用を含めて右貨物の価格を一キロトンにつき金五八、八〇三円と定め、これに基き前記和文契約書が同年三月五日高島屋飯田において作成され、翌六日被告会社前記代表者の署名がなされたことそうして、右本船は、同年三月二六日ニユーオルリーンズ( New Orleans)において船積を終了、出航し、同年四月三〇日横浜港に入港した後右大豆が被告会社横浜工場倉庫に搬入されたのであり、同年五月一二日ころ前記和文契約書記載の代金支払条件により被告会社が高島屋飯田にあて約束手形を振り出し、これが決済されたことが認められる。前記秋野享三、和田五郎の各証言中、右売買契約が、前記和文契約書の署名日に成立したとの趣旨に帰着する部分は採用できないし、その他に右認定に反する証拠はない。

(二)  つぎに、右高島屋飯田、被告会社間の売買契約の海上運賃が右和文契約書の作成当時どれほどの金額と決定されたものかについて、右和文契約書自体には、なんらの記載がない。ところで、成立に争のない乙第三七号証には、右和文契約書記載の単価に符合する単価の記載があるとゝもに、単価一五六ドルとする記載があり、また、成立に争のない同第三号証の三には単価一五六ドルとする記載があるが、他面、その記載は、一五六ドル五〇セントとの記載を抹消し、これを訂正したものであることは、一見して明白である。そうして、この点につき、証人秋野、和田、近藤らは、右海上運賃は、二六ドルと定められたものと供述するに反し、証人安井、岡島らは、二六ドル五〇セントと定められた旨を供述するのである。かようなわけで、英文契約書と対比して、右記載並びに供述の全般を通じてみれば、右和文契約書記載の単価が定められるに至るまで、これに関与した秋野、安井間で、右海上運賃につき二六ドルと定めるか、更に〇、五ドルを増額するかどうかにつき、協議がかさねられたことを認めることができるけれども、右価額のいずれを終局的のものと定めたかについては、心証を得ることができない。

(三)  つぎに秋野享三の被告会社内部における地位につき、考えるに、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第一一号証の二、証人和田五郎、秋野享三(いずれも、第一回)鈴木恭二の各証言を総合すれば、秋野は、遅くとも昭和二六年初めころから被告会社業務部企画課に所属し、同課において次席の地位を占め、同会社所要大豆の買付につき、窓口の役割を果していた者であること、前記和田、佐伯、鈴木は、順次その上司であり、大豆買付の事務につき、通常協議若しくは報告を受ける関係にあつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

第六つぎに、高島屋飯田、ドレイフアス間の本件売買の目的物に関する売買契約について考える。

(一)  証人黒川正雄の証言により真正に成立したものと認める丙第一四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める同第九八号証の一、二、第九九号証、証人近藤一雄(第一回)の証言により真正に成立したものと認める同第一一一号証、成立に争のない乙第四号証に、証人黒川正雄、福井孝雄、大平房次、西尾定蔵、近藤一雄(第一、二回)安井泰一郎(第一、第二回)岡島康雄(第一回)、飯田俊季(第一回)の各証言を総合すれば、次の事実が認められる。ドレイフアスは、総本店をパリーに置き、世界的に有力な穀物輸出入貿易業者で、同社東京支店の総括本店は、同社ニユーヨーク店とされていたが、高島屋飯田は、昭和二四年ころから小麦、大麦等の穀物類につき右東京支店と取引関係にあつたところ、前記第五の(一)認定の高島屋契約番号四四号の売買契約成立後、更に、昭和二六年二月末ころから右両者間において米国産大豆につき引きあいが始められた。ところが、米国においては、前記第二、(二)、(ロ)認定の事情に加えて、軍需品、その他ヨーロツパ向け穀物類の積出のため、前記ガルフ湾が極度に混雑し、更に、国内貨車の車輛も不足したので、まず、同月一〇日ころ防衛輸送局という輸送統制機関が設置され、同月二〇日ころから米国産穀物の国外向け売申込差し止めの行政措置が取られていたが、ついで、同年三月一日穀物につき輸出許可制が採用されることが確定した。かような事情のもとで、ドレイフアス、ニユーヨーク店は、同社東京支店支配人黒川正雄を通じて、同月二日高島屋飯田に対し、輸出許可を条件とし、「(一)北米産黄大豆二号品、数量九、〇〇〇トン積荷二口、(二)船積セントローレンス、四、五、六月積、(三)門司、横浜間安全一港沖渡(四)価格一キロトンにつきC、I、F一六九ドル。」という内容の一〇日間有効なビツドを発することを求め、これに応じて、高島屋飯田は、右同一内容、右期間を附したビツドを発し、同月六日ドレイフアスからその承諾の意思表示を受けた。そうして、更に、ドレイフアス、ニユーヨーク店は同月五日高島屋飯田に対し価格は一キロトンにつき一六五ドル、その他右同様内容のビツドを発することを求め、高島屋飯田が同月十二日までの期限を附してそのビツドを発したので、右ニユーヨーク店は、これを承諾し、その旨の意思表示が同月七日高島屋飯田に到達し、以上の各契約に基き、丙第九八号証の一、二、同第九九号証の各英文契約書が作成された。(前者の二口は、ドレイフアス契約番号一九五一年四三号、同四四号、後者は、同四五号)かような事実が認められ、他方、右証人福井、大平、西尾、近藤、島崎龍雄の各証言を総合すれば、米国産大豆は、通常ガルフ湾から船積されるもので、右セントローレンス湾積とするときは 前者の場合に比し、外航運賃につき一トンあたり約五ドルの増額を伴うものであること、右セントローレンス積で米国からの輸出をはかることは、ガルフ湾からの積出の困難を回避しようとするものであり、この積出の方法は、当時ドレイフアスだけが発案したものでなく、米国において同社と比肩しうる輸出入貿易業者であるCBホツクス株式会社もこれを企画したことがあつたこと、ところが、ガルフ湾での船積、出航は一時停滞したけれども、その後同年五月ころから順次出航することができたこと、が認められる。

そこで、右認定事実を対比して考えるに、セントローレンス積とするのは、右当時においても異例の場合に属するものであつたけれども、これにより米国の輸出許可を容易ならしめうる客観的事情が介存したのであり、また、右約定価格は、前記第二、(二)、(ニ)認定のような、わが国における米国産大豆の一般的価格に比べて高額であつたけれども、船積地をセントローレンス湾とする限りこれを不当に高額なものとすることができないものであること、高島屋飯田は、ガルフ湾積出に関する右認定のような事情が将来継続するものと信じたので、ドレイフアスと前記約定の契約を結んだものであると認めるほかない。すなわち、ガルフ湾での船積出航は、現実には、同年四月ないし五月ころから緩和されたのであつたけれども、後記第八の(一)において述べるように、同年三月までは将来にわたり同湾からの積出は困難であるとの予測が支配的であつたのであり、高島屋飯田も、これと同じく同様予測を立てゝいたのであつた。

(二)  つぎに、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める丙第七号証の一、二、第八ないし第一二号証、同第一一四号証の一ないし四、証人近藤一雄(第一回)の証言により真正に成立したものと認める同第一〇九、一一〇号証、成立に争のない乙第一五号証の一、二、三、同第一六号証、同第二〇号証の一、二、同第二一号証、同第二二号証の一ないし四、同第二九、三〇号証の各一、二、三、証人土井常明、松平一郎飯田俊季(第一回)、安井泰一郎(第一回)岡島康雄(第一回)の証言を総合すれば次の事実を認めることができる。

(イ)  高島屋飯田は、右契約による米国産大豆につき輸入承認を得るため、まず、昭和二六年三月七日通商産業大臣に対し限度外申請をし、右契約番号四三、四四号(本件高島屋飯田契約番号五一号)分につき、同月八日五外国為替銀行である株式会社東京銀行に対し輸入承認申請をし、右契約番号四五号(本件高島屋飯田契約番号五六号)分につき同日外国為替銀行である株式会社富士銀行に対し輸入承認申請をし、右通産大臣の許可と右輸入承認を受けたのであつたが、右輸入承認申請に際し、右各銀行に預け入れるべき、前記第一、(七)で述べた保証金は、すべて、銀行借入の方法によらず、自己の手持資金をもつてした。もつとも、高島屋飯田は、右限度外申請をするにあたり、同社とドレイフアスとの間の契約成立の日が前記(一)認定のとおりであつたにもかゝわらず、右三個の契約全部が同月三日成立したものとして右許可を求めたのであつたが、これは、同会社が、かように日附を遡及することにより右許可を容易ならしめるものと判断したことによるものであつた。

ついで、同会社は、前二者につき、東京銀行に信用状の開設を依頼して、同月二四日これを得、後者の信用状の開設を富士銀行に依頼して、同月二二日これが開設されたのであつた。(右事実中東京銀行が右信用状を開設したこと、富士銀行が右の日に右信用状を開設したことは、当事者間に争がない。)

(ロ)  前記各契約の条件であつた輸出許可は、ドレイフアスの申請により同年四月二日までの間に与えられ、同会社は、前記大豆の運送のため、貨物積込本船としてシーボードエンタプライズ号、ラカンブル号、アステリス号を定め、まず、前記契約番号四五号の履行として同年六月二日セントローレンス湾モントリオール港でシーボードエンタプライズ号に参加人主張数量の右大豆が船積みされ、その余の契約の履行として同日同港でラカンブル号に、同年七月一四日同港でアステリス号に、いずれも参加人主張数量の右大豆が船積され、右各船舶は、参加人主張の日にその主張の港に到着した。

以上の事実を認めることができる。

前掲丙第一〇九号証は、ドレイフアスの発信にかゝる電文であるが、それには、「発信昭和二六年三月二八日附、最終的に契約のてい結を確認したい( We hope definitely confirm conclusion business )。」との記載同第一一〇号証中、「受信同年四月三日附、against open contracts soyabeaus we confirm 3 cargoes Now in order 。」との記載があり、被告会社は、右電文中、open contracts とは、未完結契約との意味であるから、右発信当時は、前記売買契約は、成立していなかつたと主張するけれども、open とは、一般に未解決という意で右の場合被告会社主張のような意味内容に限定して用いられたものと認めるべき資料がないのみでなく、前掲乙第四号証、証人黒川正雄の証言と対比すれば、前記輸出許可があつたかどうかに関して述べられたものと認めることができる。

その他に、以上各認定を動かすに足りる証拠がない。

第七乙第一号証の三は、高島屋飯田契約書番号油五一号の参加人主張のような契約を表示した文書であり、丙第三号証は、同油五六号の契約を表示した文書であることは、明らかであり、乙第一号証の三中、高島屋飯田署名欄の署名が、同会社常務取締役飯田俊季のもの、丙第三号証中、同署名欄の署名が前記近藤一雄のものであること、右両書面中、被告会社署名欄の署名が前記和田五郎のものであることは、当事者間に争がない。

被告会社は、和田の右署名は、同人において右各書面表示の契約の存在を認めたうえしたものでなく、便宜上単に銀行に呈示するだけの趣旨でしたものであると主張し、証人和田五郎、秋野享三(いずれも、第一回)は、乙第一号証の三は、その記載日附の日に高島屋飯田社員前記岡島康雄、安井泰一郎、近藤一雄らがドレイフアスから一六九ドルで二船分を買い付けたから、同月中に銀行と了解をつけなければならない旨を申し述べて署名を懇願し、丙第三号証は、その記載日附のころ岡島、安井両名がドレイフアスから一六五ドルで一船分を買い付けたところ、銀行から契約書の呈示を求められているので、そのかつこうを付けてくれとの趣旨を申述べ、署名を懇願したから、高島屋飯田の便宜をはかるだけのものとして、和田が右各書面に署名したに過ぎない旨を供述する。

(一)  成立に争のない乙第二四号証、証人桃井哲夫、渡辺文蔵、大平房次、伊庭野健治、普川茂保の各証言を総合すれば、東亜交易株式会社は、昭和二六年二月米国産大豆満船一〇、〇〇〇トン積三船を買い付け、外国為替銀行である千代田銀行に対し右輸入承認申請をするにあたり、右のうち、九、〇〇〇トンは、豊年製油との間に売買契約が成立しているものとして、輸入担保金を同銀行から借り受け、これを供与したのであつた。ところが、東亜交易、豊年製油間において、右売買契約中、五、〇〇〇トンにつき争が生じ、結局東亜交易は、右該当分を柏原製油株式会社ほか四名に売却したが、右第二次の売りつなぎさきの信用が薄弱であつたため、大和銀行柏原支店長名義の右柏原製油ほか四名に対する融資承諾書を得、これを千代田銀行に提出して同銀行から信用状の開設を受けたけれども、その後、大和銀行は、右融資承諾書は、仮装のものと主張し、これに基き融資することに応じなかつた。更に、右東亜交易は、同月支那産桐油一九〇ロングトンを買い付け、その信用状の開設を千代田銀行に依頼し、その際、右桐油を大日本塗料株式会社に売却した旨の売買契約書(乙第二四号証)を同銀行に提出したが、同売買契約書は、大日本塗料と相通じ、信用状の開設を得るため、作成された、仮装のものであつた。かような事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  乙第一号証の三につき和田が右署名をした際、同時に同号証の一、二が提出され、丙第三号証に右署名がなされた際、乙第二号証の一、二、三が提出されたものであることは、当事者間に争がなく、弁論の全趣旨によれば、乙第一号証の一、二、同第二号証の一、二、三が、右提出当時から引き続き被告会社の支配下に置かれてきたことが認められ、乙第一号証の三が、現に被告会社の手中にあることは、明らかである。そうして、乙第一号証の一、同第二号証の一には、Original(オリジナル)同第一号証の二、同第二号証の二には、Duplicate(デユプリケート)同第一号証の三、同第二号証の三には、Triplicate(トリプケート)との記載があり、丙第三号証には、右のような記載がなく、その紙質も右乙号各証のような良質のものでないことが認められる。

ところで、丙第三号証は、その紙質に関する右事情と証人岡島康雄(第一回)の証言に徴し、これが被告会社に持参された際、乙第二号証の一、二、三の書面の写、若しくは、予備用紙として用意されていたものであることは、疑いを入れないが、証人秋野(第一回)は、トリプリケートも、予備用紙として用いられているものであると供述する。他方、証人安井(第一回)は、オリジナル、デユプリケート、トリプリケートは第一、第二、第三の各正本と称すべきものであるが、通常は、オリジナルに署名がなされる旨を供述し、証人佐々木邦彦は、銀行実務上、署名は、必ずしも、オリジナル、デユプリケートにのみなされているとは限らない旨を供述し、かような各証言を通じてみれば、右のような契約書用紙中、オリジナルに署名されたもののみが原本であり、そうでないものは、たとえ、署名がなされているとしても、事実の証明力がないとする特段の慣行があるわけのものでなく、やはり、その具体的場合と事情により、署名され、署名されたものが合意を証明する契約書として取り扱われているものと認めるのが相当である。

(三)  他方、前記第六、(二)、(イ)で認定したとおり、本件油五一号、油五六号分(ドレイフアス契約番号四三、四四、四五号)につき、高島屋飯田が、通商産業大臣に対し限度外申請をしたのは、昭和二六年三月七日、油五一号分につき、東京銀行に対し、油五六号分につき富士銀行に対しそれぞれ輸入承認申請をしたのは、同月八日であつたが、油五六号分の英文契約書である丙第三号証の作成日附が同年四月二日附であるから、少くとも、この分についての限度外申請、輸入承認申請は、丙第三号証の契約書の添付などということはなく、申請、許容されていたはずであり、かような事実に、証人松平一郎、土井常明、西尾定蔵、近藤一雄(第一回)の各証言を総合すれば、限度外申請をするには、その申請書にその申請の理由を記載するだけで足り、契約書等国内での売りつなぎの事実証明の文書を提出することを要せず、また、輸入承認申請をするには、輸入公表において、外国為替銀行は、右のような文書を確認することゝの附記がなされたときは格別、一船には、輸入担保金を自己資金で供与するとき、その申請は、当然受理されるべきものとして取り扱われており、右のような文書の添付を要しなかつたことが認められる。すなわち、当該銀行は、輸入担保金を申請者に貸し付ける限りにおいて(この場合外国為替業務を営むとともに、他方で、一般貸付業務を営むわけである。)利害を感ずるのであり、単に輸入承認申請を受理する点では、申請者との間に損益の利害関係を有しないから、右事実の確認をしないわけである。そうして、本件では、輸入公表において、右確認義務を定めたことを認めるべき資料がなく、かつ、前記第六、(二)、(イ)認定のように油第五一号、第五六号分は、いずれも、高島屋飯田の手持資金をもつて輸入担保金が預け入れられたのであるから、その限度外申請、輸入承認申請をした際、丙第三号証は勿論、その他なんらの契約書等の文書も添付、若しくは、提出されなかつたものと認めることができる。成立に争のない乙第四四号証には、もと通産省通商局首席事務官越智度男の供述として、限度外申請の許否の基準は、実需者がなにびとかということであり、売りつなぎの事実がなければ、許可されない。」との供述記載があるが、果して、これを確認するため、右契約書等の文書により証明せしめていたかどうかについては、確然とした供述を含まないのであり、これをもつて右認定を動かすべき資料とするには、足りない。つぎに、信用状の開設の点についてみるに、油五六号分につき、富士銀行が信用状を開設したのは、昭和二六年三月二二日であつたから、高島屋飯田は、被告会社との売買契約存在の事実証明文書として、丙第三号証を右銀行に呈示することなく、その信用状の開設を受けたものであることは、明らかであり、かような事実に、証人松平一郎、桃井哲夫、杉山金太郎の各証言を総合すれば、銀行が、顧客から信用状の開設依頼を受けた際、通常、実需者との売買契約書等の文書の呈示を求めるが、また、場合に応じて、直接実需者と面接し、若しくは、電話で実需者につき売買契約の存否を確認していたことが認められる。

(四)(イ)  そこで、油五一号に関する証人和田五郎、秋野享三の各証言を検討するに、右両名は、乙第一号証の三は、用ずみ後、返還のこととの約束であつた旨を供述するところ、成立に争のない丙第一号証の一、日附部分につき成立に争がなく、その余の部分につき、証人塩入信男の証言により真正に成立したものと認める同第二号証の一、乙第一号証の三と対比して同書証の写真であることが明らかな、丙第一、二号証の各二、証人秋野享三(第二回)、飯田俊季(第一回)の各証言を総合すれば、乙第一号証の三の英文契約書は、少くとも昭和二六年七月二〇日ころ、同月二六日ころ秋野の手から近藤に交付され、いずれもそのころ、近藤が秋野に返還していたことが認められるが、右和田、秋野の供述するように、同年三月二六日返還されたことがあつたかどうかについては、その供述をおいてほかに、資料がない。ところが、和田、秋野らの右供述のように、返還の約束があつたものとすれば、その旨を書面に作成し、差入せしめるべきはずであろうことは、参加人の指摘するとおりであると思われるにもかかわらず、そのような書面の作成を求めたことがなかつたことは、右両名の証言によりうかゞうことができ、右両名とも、依頼の趣旨であるという、「銀行と了解をつけなければならない。」とは、前記限度外申請、輸入承認申請、信用状開設依頼のうち、いずれにつき、いかなる内容の了解を得ようとするものであるかについては、進んでこれを知ろうとしなかつたと言うのである。特殊の、人と人との関係が介在するのであれば、格別、本件全証拠を通じてみれば、和田、秋野らと近藤、岡島、安井との間には、前記第五で述べた契約番号油四四号の売買契約を通じての関係上のものは、なにもなかつたことは、明白である。ひるがえつて、乙第一号証の三は、後に東京銀行に対し信用状の開設を依頼した際、呈示したことがあつたであろうと推認されるけれども、本段(三)で述べたように、油第五一号分の限度外申請、輸入承認申請をするについては、右書面を要しなかつたのであるから、和田、秋野らの前記供述のように、その作成日附である昭和二六年三月六日中に和田の署名を得なければならなかつた理由は、すこしもなかつたわけであり、その他に、右両名の証言を裏付けるに足りる資料がない。かようなわけで、和田、秋野の各証言は、いずれも、乙第一号証の三の和田署名に関する限り、真実を物語るものではないと認める。

(ロ)  つぎに、油五六号分に関する証人和田、秋野らの前記証言は、証人高比良馨の証言と相反する。そこで、考えるに、和田、秋野は、前掲(イ)で述べたように、近藤、岡島、安井の便宜をはかるべき関係になく、また、後日の証拠として返還の約束を書面に残したわけでもなかつたし、更に、署名の依頼に対し、深く尋ねるわけでもなかつたことは、右両名の供述を通じて、うかゞうことができる。他方、高比良は、右当時、富士銀行本店外国為替課員であつたが、証人佐々木邦彦の証言によれば、昭和二六年五月同銀行の太田省三が高島屋飯田専務取締役に、昭和二八年同銀行の横山彰が高島屋飯田経理部長にそれぞれ就任し、かような人的関係を通じて、同会社が右銀行と結合していたことが認められ、同人の証言中、「確認のため、被告会社に持参した英文契約書には、飯田の署名があつた。」旨の供述部分は、右英文契約書とは、丙第三号証を指すことが明らかであるから、事実に反するものであり、また、同人が面接したという和田五郎との対質においては、容易に和田を識別することができなかつたのであつた。しかしながら、高比良が被告会社に赴き、和田と面接したというのは、前後を通じて、たゞ一回のみであつたことは、高比良の証言に徴して認められるから、右の点に関する記憶の不明瞭は、避けえないものであろう。以上述べたような事情に、土井常明、佐々木邦彦の各証言を併せ考えて、高比良馨の証言を検討するに、同人の供述するように、富士銀行が高島屋飯田のため信用状を開設した後、更に、被告会社との売買契約確認のため、丙第三号証を提出せしめ、被告会社に赴き、和田五郎に面接のうえ、油五六号分の売買契約の成立を確認したことが認められる。証人和田、秋野の前示証言は、信用できないし、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

(五)  つぎに、乙第一号証の三、丙第三号証をみるに、いずれもその左側の余白の部分にとじ込みのための穴が各二個あけられていることが認められ、証人近藤一雄(第二回)安井泰一郎(第一回)、和田五郎(第一回)の各証言を総合すれば、右の穴は、いずれも高島屋飯田の者によりあけられたもので、安井泰一郎が右両書面を他の契約書とともにフアイルして保管していたものであることを認めることができる。他方、証人西川嘉一(第一回)の証言により真正に成立したものと認める乙第二七号証、証人田付千男の証言により真正に成立したものと認める乙第二八号証に右各証言を総合すれば、幸物産株式会社においては、売買契約が成立した場合、乙第二七号証の形式の書面に契約内容を記載して、これを経理部に廻付するのであり、伊藤忠商事株式会社においては、右の契約成立の場合乙第二八号証の形式の書面を作成して、帳簿を作成しており、かように、商事会社は、一般に、契約が成立するごとに、なんらかの方法で、帳簿を作成し保存するものであることが認められ、証人太田静男の証言によれば、同人が昭和二七年高島屋飯田の代表取締役に就任した当時、同会社の帳簿制度は完備していず、その帳簿もずさんなものであつたことが認められる。

右事実を対比して考えるに、商事会社において、売買契約のいかなる段階において、いかなる帳簿を作成するか、言いかえれば、前記英文契約書の内容のような合意が成立したとき、これに対応してその合意の内容を帳簿に記載するものであるか、または、前記和文契約書記載のような細目の合意が成立したときに初めて帳簿に記載するのが通常であるが、かような事実問題の認定は、さておき、高島屋飯田の近藤、岡島、安井らは、右乙第一号証の三、丙第三号証を他の売買契約書とゝもに、フアイルし、これを帳簿に代るものとして保管してきたものであると認めるのが相当であり、証人田付千男の証言中、右認定に反する部分は、採用しないし、他に右認定を妨げるに足りる証拠はない。

つぎに、乙第一号証の一、二の各上欄余白部分には、タイプで刻印された、「×××××××××。」との記載があり、乙第一号証の三、には、その記載がない。そうして、乙第一号証の一、二は、同第一号証の三とともに高島屋飯田から持参され、秋野、和田らに提出されたものであることは、当事者間に争がなく、そのうち、乙第一号証の一、二は、引き続き被告会社の支配下に置かれていたことは、弁論の全趣旨に徴して明らかである。そうして、証人近藤一雄、安井泰一郎、秋野享三(いずれも、第二回)の各証言によれば、右「×××××××。」の刻印は、右各契約書が秋野、和田らの手中に入つた当時、存在しなかつたものであることを認めることができ、この認定を動かす証拠はない。

してみれば、右刻印は、被告会社の支配下に右各書面が置かれているうち、同会社の者により施されたものと認めるほかないのであり、この事実と前記本段(四)の(イ)、(ロ)で述べたように、乙第一号証の三、丙第三号証の和田五郎の署名に関し、同人及び秋野享三の供述するところが虚偽であり、殊に丙第三号証の和田の署名について、和田は、富士銀行本店外国為替課員高比良馨に対し油五六号分の売買契約の成立を確認していた事実に、証人安井泰一郎(第二回)の証言を対比して考えると、安井の供述するように、右刻印のある部分には、もと、なんらかの文字が記入されていたところ、これをまつ消するため、右刻印が施されたものではあるまいかと疑えるのであり、少くとも、本件売買契約の成否に関し、被告会社に不利な事実を覆うため、なにごとかゞ作為されたものと認める。

かようなわけであるから、乙第一号証の三、丙第三号証の和田の署名は、同人及び秋野享三の前記供述のような趣旨でなされたものではなく、和田は、右各契約書の趣旨、その署名の意味を熟知したうえで、右署名をしたものと認定するのが相当である。

第八ところで、被告会社は、(一)同会社は、昭和二六年一月操業計畫による同年九月分までの需要大豆を買い付けずみであつたから、同年三月中に本件油五一号分、五六号分のような大豆を買い受ける必要がなかつた。(二)本件大豆のような、大量、巨額のものを買い付けるには、資金工作が先決問題であるが、この点につき、同会社は、銀行の融資承諾を得る等の方策を講じていなかつた。(三)被告会社において、原料の買付を決定する権限を有する者は、会社代表者または、取締役等に限られ、和田、秋野らにその権限がなく、契約書等に署名する権限さえもなかつた。以上の点を指摘するので、以下、順次検討する。

(一)  証人和田五郎(第一回)の証言により真正に成立したものと認める乙第一四号証、成立に争のない丙第一〇四、一〇五号証の各二、証人佐伯武雄、鈴木恭二、西尾定蔵、田付千男の各証言と弁論の全趣旨とを総合すれば、被告会社は、昭和二六年一月下旬同年中の生産操業目標を樹立し、同年九月までの間に合計二九、六〇〇キロトンの大豆を要するものと定めたこと、同会社は、高島屋飯田から前記第五認定の米国産大豆九、〇〇〇キロトンを買い受けたほか、同年二月までの間に原告会社から米国産大豆合計一五、〇〇〇キロトン(もつとも、この契約についても、原被告会社間でその成立の日につき争があるが、この点の認定は除外する。)及び北海道産大豆約五、〇〇〇キロトンを買い受けており、同年二月中、被告会社に対し米国産大豆の売申込をした伊藤忠商事株式会社、東洋綿花株式会社等はその申込を拒絶されていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。他方、前記第六、(一)において認定したように、米国では、大豆船積港の所在するガルフ湾の混雑、国内車輛の不足により、同年二月二〇日ころから米国産穀物の国外向け売申込差し止め、同年三月一日穀物に関する輸出許可制の採用等の措置がとられたのであり、証人福井孝雄、大平房次、西尾定蔵の各証言を通じてみれば、米国内の右事情に基きガルフ湾からの積出は困難であろうとの観測が同年三月迄は一般に行われていたけれども、同年四月から後には、斯る情勢は将来も継続するであろうと一部の者には観測されたが他の者には斯る情勢は緩和されるであろうとの観測もなされており、その見解は、帰一しなかつたものと認めることができる。してみれば、被告会社も右事情に無関心であるわけがなく、右生産操業目標として樹立された基本事項も、右事情に即応して一応検討が加えられたであろうことは、見易いところであり、同会社において、買付を進めるかどうかの問題は、米国内の右事情に関し、どのように予測を立てるか更に事業を安全に操業し得るための危険負担のいかんにかゝつたものであると考える。従つて、被告会社の昭和二六年中の生産操業目標が右のとおりであり、既にその目標額のほとんど全部を買い付けていたことは、同会社において、もはやそれ以上の大豆を必要としないとのことを裏書きする資料とするには足りないわけであり、むしろ前記第二、(二)、(イ)ないし(ヘ)の一般事情とガルフ湾積出に関する特殊の右事情とに基けば、同会社大豆買付担当者である秋野、和田らは、同年三月初め、すなわち、本件売買当時、更に大豆の買い進みの意欲を持つていたものと認めるのが相当である。

(二)  証人普川茂保の証言、被告会社代表者道面豊信本人尋問の結果を総合すれば、被告会社は、昭和二六年三月当時、未だ戦災後の復興期を抜け切らず、その川崎工場の建設時代であり、三菱銀行から設備資金として多額の金員を借り受けており、従つて、原料の買付銀行融資に仰がなければならなかつたことが認定できるけれども、右普川の証言によれば、右銀行は、被告会社の融資主力銀行であり、たとえば、前記被告会社買付大豆の決済資金中、五〇%ないし六〇%を負担していたものであること、その決済資金の融資の折衝は、本船到着の一ケ月前ころから受けていたことが認められ、輸入原料の買付代金につき、現実に支払、若しくは、資金確保の必要が起るのは、本船到着後であることが明らかであるから、証人渡辺文蔵の証言、右道面豊信本人尋問の結果中、被告会社では、あらかじめ銀行から融資の承諾を得た後でなければ、原料の買付をするかどうかの意思決定ができなかつた旨の各供述部分は信用することができない。

(三)  証人杉山金太郎、島崎龍雄、太田静雄の各証言によれば、豊年製油株式会社では、同会社代表者杉山金太郎(現在、会長)自身が個別的な原料買付につき、引きあいの段階から買付の意思決定に至るまで、終始、取り行い、なにびとにも、その買付権限を委譲していなかつたことが認められ、成立に争のない乙第四一号証には、昭和産業株式会社常務取締役平野清の供述として、同会社では、原料買付は、取締役会の決議事項であり、代表者にも買付の意思決定の権限がない旨の記載があり、証人西川嘉一(第一回)は、旧三井物産株式会社は、実需者との原料売買の折衝において、常に代表者または支店長を選んだ旨を供述する。

思うに、原料買付の権限をなにびとに属せしめるかは、当該会社が業務運営上の見地から各別に決定すべき問題であることは勿論であるけれども、証人太田静男が供述するように、会社内部において業務に関する事項を細分し、会社の構成員をしてその事務を分担、専決せしめるのが、企業体としての活動を円滑かつ迅速に行わしめ得るゆえんであるということも道理である。そうして、かような事情に、証人太田静男、島崎龍雄、松本季三志の各証言を総合すれば、商事会社、実需者間の売買において実需者側の買付担当者は、通常、会社の職制上部長、係長に属する者であり、その地位に応じて大小の程度の差異はあるにしても、それぞれ買付に関する権限を委譲されているものと認めるのが相当である。旧三井物産株式会社、昭和産業株式会社の買付に関する前掲証人西川嘉一、乙第四一号証の記載は、証人松本季三志、島崎龍雄の各反対供述に照らしてにわかに信用することができない。本件につき、これをみるに、前記第五(一)認定の高島屋飯田契約番号油四四号の売買契約は、高島屋飯田側において物資部次長近藤一雄、岡部食糧課主任岡島康雄、被告会社側において、業務部長佐伯武雄、業務副部長和田五郎、同部企画課員秋野享三との間で定められたのであり、前記第七に述べたところから明らかなように、本件乙第一号証の三、丙第三号証の英文契約書には、和田五郎がその各文書の趣旨を熱知して署名したのである。かような事実を併せ考えるに、前記豊年製油株式会社の買付の方式は、同会社独自のものであり、被告会社では、佐伯武雄を初め、和田五郎秋野享三らも、大豆の買付に関し包括的な代理権限を有していたものと認定する。証人鈴木恭二、佐伯武雄の各証言、被告会社代表者道面豊信本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、信用できないし、他に右認定を動かすに足りる証拠がない。

(もつとも、和田秋野が右のような代理権限を有していたことゝ、その代理権の行使として買付の意思表示をするにあたり、常務取締役鈴木恭二、あるいは、代表取締役道面豊信の同意若しくは許諾を受けるべきものであつたかどうかということゝは、別個の問題であり、仮に、被告会社内部において、右取締役らの同意若しくは、許容を受けるべき旨が定められていたものとしても、証人近藤一雄、安井泰一郎(いずれも第一、二回)の各証言を総合すれば、後記認定のように、本件売買の高島屋飯田側の関与者である近藤一雄は、被告会社内部において、右のような手続を経た後大豆の買付をするものであるかどうかについては、まつたく知らなかつたことが認められるから、商法第四三条により、右の定めをもつて、高島屋飯田に対抗することができないわけである。)

第九証人西川嘉一(第一、二回)の証言により真正に成立したものと認める乙第七号証の一、二、成立に争のない同第三六号証、同第四二号証、証人西川嘉一(第一、二回)、西尾定蔵、田付千男、水野順弘の各証言を総合すれば、昭和二六年五月高島屋飯田、原告会社を始め油糧関係(油脂並びに油脂原料)商事会社合計四三社により油糧輸出入協議会が結成され、ついで、同年七月五日ごろ右協議会監事西川嘉一の発議で前記第二、(二)、(ニ)の事情に基き国内での売りさばきに苦しむ輸入大豆につき決済資金の銀行融資をはかるため、右協議会々員中、大豆取扱業者により大豆対策委員会が設けられたこと、同委員会は、大豆輸入につき信用状を開設した銀行から融資を得るとゝもに、各会社が個別的に売却する結果、競争に陥ることを避けるため、共同販売を申しあわせ、有力実需者に買い受けてもらうとの構想を立て、まず、その第一段階として、右関係会社が、右当時所持していた大豆につき、「約定確実。」のもの、「約定不確実。」のもの、「手持。」という三種類に分けて、その数量、代金、代金決済期を報告せしめ、これにより同月一九日ころ乙第七号証の一が作成されたこと、西川嘉一は、右委員会の席上、右調査事項の趣旨として、「約定確実。」とは、代金の支払が確実なもの、「約定不確実。」は、弱少メーカーに売り渡し、その資力不十分のため、代金が支われるかどうか疑わしいもの、「手持。」とは、思惑買いの結果、手持となつたものを指す旨を説明したこと、高島屋飯田は、右調査に対し、本件油五一号分、油五六号分を手持にあたるものとして報告したことが認められる。(以上の事実中、油糧輸出入協議会が結成されたこと、高島屋飯田が右のように本件油五一号分、油五六号分を手持にあたるものとして報告したことは、当事者間に争がない。)

ところで、仮に、資力十分な有力メーカーに売り渡し、その代金の支払が拒絶されていた場合、右委員会の調査事項中、どの事項にあたるかにつき、証人西川嘉一は、かような場合は、右調査の際、考慮の対象とはなつておらず、若し、その場合が存在するものとすれば、「約定確実。」の事項にあたるものとして報告されるべきものとの説明をするのであり、証人伊庭野健治の証言によれば、同人は、大豆対策委員会の構成員であつた東亜交易株式会社の代理人として右委員会に出席していた者であることが認められるところ、同証人は、右設例のような場合、「約定不確実。」にあたるものであるか、「手持。」にあたるものとすべきかは、微妙な問題であり、判断できない旨を供述するのであり、むしろ、右設例の場合は、西川嘉一の与えた意味限定による限り、右調査事項のすべてに該当しないものというべき筋合である。他面、成立に争のない丙第一〇〇号証の一、二、三、前掲西川、田付の各証言によれば、油糧輸出入協議会は、日本銀行融資あつ旋部から融資のあつ旋を受ける資料に供するため、大豆ほか一〇品目につき、同協議会々員に対し、同年七月一五日現在での手持品の数量、金額を同月二〇日までに報告すべきことを求めたこと、その際右の手持品中には、売買契約が解除されたもの、契約が存在し、買主が受渡を拒絶したため、手持を余儀なくされているもの、将来拒絶されるおそれが濃厚なものも含むものとしたことが認められ、前記大豆対策委員会の調査事項と対比すれば、「手持。」の意味につき、前述のような限定がなく、報告さきは異なるけれども、決済資金の融資を受けるという目的では、同じであり、調査の日も、ほぼ前後している。かような事情に基けば、高島屋飯田が果して、西川嘉一の前記説明の趣旨を理解していたかどうかはなはだ疑問であり、仮に、その趣旨を知つていたものとしても、前記設例のような場合にあてはまるべき調査事項の項目を設けているにもかかわらず、これを無視して、「手持。」の項目にあたるものとして報告したのであれば、格別、西川の前記意味限定は、かような場合、報告者をして困惑を感ぜしめる余地のあるものであつたことは、前述のとおりであるし、同会社が、右対策委員会に出席し、その報告をしていた事実に徴しても、同委員会を通じて融資を得ることを望んでいたことは、明らかである。かようなわけで、高島屋飯田が同委員会に対し前記のような報告をしていた事実をもつて、たゞちに、当時同会社は、本件油五一号分、油五六号分が思惑買いによつたものであることを自認していたものと認めることができないのである。

第一〇総括

(一)  前記第二ないし第八認定の各事実を通じて要約すれば、本件紛争の対象である売買は、時期的には、昭和二五年六月朝鮮事変の発生に基因して諸物価が高騰し、翌二六年五月その和平の気運が動いたことに伴つて下落するに至るまでの間、景気のほゞ絶頂時にあたるとともに、米国から大豆の輸出、積出ができるかどうかにつき、積極、消極両様の観測が行われていたときにもあたる、高島屋飯田、被告会社は、ともに、わが国の信用ある商事会社、実需者であるが、右両者間において、昭和二六年二月八日までの間に乙第三号証の一の英文契約書記載の約定で、米国産大豆九、〇〇〇キロトンの売買契約が成立した。ところで、高島屋飯田は、昭和二六年三月六日外商ドレイフアスから米国の輸出許可を停止条件として丙第九八号証の一、二記載の約束で米国産大豆合計一八、〇〇〇キロトン、同月七日右外商から同様許可を停止条件として同第九九号証記載の定めで米国産大豆九、〇〇〇キロトンを買い受け、右大豆輸入のため、同月七日限度外申請をし、翌八日輸入承認申請をし、ついで、右大豆代金の決済のため、同月二二日富士銀行から、同月二四日東京銀行から信用状の開設を受け、右輸出許可は、同年四月二日までに与えられた。

被告会社業務部副部長兼企画課長和田五郎は、同会社需要大豆の買付につき一般的代理権限を持つていた者であるが、同人は、その部下で大豆購入等を担当していた秋野享三と熟議の末高島屋飯田の依頼に基き、同年三月六日乙第一号証の三の英文契約書、同年四月二日丙第三号証の英文契約書に署名しており、右各英文契約書は、前記丙第九八号証の一、二、同第九九号証の英文契約書とほゞ同文であるところ、その契約条項中、価格、船積等の定めは、当時の事情に照らして一応なつ得することができ、和田の右署名は、同契約書記載の契約の存在を確認する趣旨でなされたものである。

(二)  前記第二、二、(ヘ)認定のように、わが国の商事会社中、実需者との売買契約の裏付けを持たす、いわゆる思惑により外商から米国産大豆を買い付けた者もあり、証人西尾定蔵、伊庭野健治、田付千男の各証言によれば、東洋綿花株式会社、東亜交易株式会社、伊藤忠商事株式会社等が右思惑買いをした商事会社であつたことが認められるが、他方、証人西川嘉一(第一回)、飯田東一、杉山金太郎、島崎龍雄の各証言を総合すれば、当時の商事会社は、ほんらい自己資本か弱少で、輸入貨物を取り扱う場合、通常その貨物代金額が自己の資本金額を遥かに超えるものであること、かような関係で、右のような思惑買いを避けた商事会社も存在したことが認められ、乙第二一号証(昭和二六年三月七日附限度外申請書)には、高島屋飯田が、被告会社の要望により米国産大豆の買付に成功した旨の記載があり、証人黒川正雄の証言によれば、高島屋飯田の前記近藤一雄がドレイフアス東京支店支配人黒川正雄に対し前記第六認定の売買契約が結ばれるにあたり、買受品は、全部被告会社に売り渡す旨を申述べていたことが認められ、かような事実によれば、高島屋飯田は、ドレイフアスから前記第六認定の契約番号四三、四四、四五号の米国産大豆を買い受けるにあたり、同大豆を被告会社に転売することを予定していたことを認定できる

(三)  以上認定事実に、成立に争のない乙第一号証の三、和田五郎の署名部分につき、成立に争がなく、その余の部分につき、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める丙第三号証、証人近藤一雄(第一、二回)、安井泰一郎(第一、二回)、岡島康雄(第一、二回)、秋野享三(第一回。たゞし後記信用しない部分は除く。)を併せ考えれば、前記近藤一雄は、昭和二六年三月二日米国産大豆各九、〇〇〇キロトンの買受かたを秋野享三に申し出同月六日油五一号分につき、同月八日米国産大豆九、〇〇〇キロトンの買受かたを秋野に申し出、同日油五六号分につき、いずれも参加人主張のような定めで売買の合意が成立し、その当時、和田五郎は、右各売買を承認していたものであること、ところが、その後、前記のように大豆相場が下落し始めたので、同年五月なかごろから被告会社が秋野を通じ数次にわたり代金の減額を求め、ついで、同年六月二日前記鈴木、佐伯、和田らは、同会社において高島屋飯田の前記近藤、安井、岡島らに対し右各売買は存在しない旨を告げたのであつたことが認められる。証人秋野享三(第一、二回)、和田五郎(第一、二回)、佐伯武雄鈴木恭二の各証言、被告会社代表者道面豊信本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、信用しないし、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。かようなわけで、前記第八、(三)に述べたとおり、被告会社業務部副部長和田五郎同部企画課員秋野享三は、同会社の所要大豆買付の包括的代理権限を有し、既に秋野の承諾により、本件油五一号、油五六号分の売買契約が、高島屋飯田、被告会社間に成立したものというべきである。

第二右売買契約の解除について。

(一)  被告会社は、高島屋飯田から右売買契約に基き、船積案内をせず、荷揚港の指定を求めず、入港予定日の通知をせず、着荷案内をしなかつたから、適法な履行の提供がなかつたと主張する。

乙第一号証の三、丙第三号証によれば、本件各売買契約において、価格は、日本港CIF渡(この「日本港。」は、被告会社の指定により特定するものであるかどうかについては、後述する。)として定められ、船積につき船積港セントローレンス、満船、船荷証券によること、との定めであり、船舶の特定はなく( per cargo of any flag from St.Laurence as per Bill of lading )数量につき一〇%増減許容条件( 10% more or less at Seller'とおりであるから、右契約所定の「日本港。」というのは、横浜港を指すものであつたと認めるべきであるから、右契約による貨物本船の仕向港は、横浜港と定められていたものといわなければならない。

かようなわけであるから、船舶の仕向港(陸揚港)として横浜港が特定されている以上、被告の右主張中、陸揚港の指定を求めなかつたとの点は、理由がないことが明らかである。

(二)  成立に争のない乙第一三号証の一ないし四(インコタームズ)、同第三八号証の一、同第三九号証によれば、CIF約款による売買において、売主は、買主に対して船積後遅滞なく船積がなされた旨の通知をするものであり、その通知は、まず電報で、ついで、積込本船名、品名、数量等を記載した船積書類を送付する方法によりなされるものとの慣習があること、売主は、本船入港前、七日ないし遅くとも、二、三日前までに買主に対し本船の入港予定日の通知をするものとの慣習があることを認めることができるが、本件全証拠を通じてみても、右約款による売買において、被告主張のように陸揚港に貨物が到着した旨を買主に通知するとの慣習があることを認めしめるに足りる資料がない。

ところで、CIF約款による売買においては、売買の目的物の引渡は、船積書類、すなわち、船荷証券及び保険証券の提供によりなされるものであり、売主は、その目的物を現実に買主に引き渡すべき義務をおわないものであるから、右船積案内、入港予定日の通知は、右売主の履行すべき義務にかかわるところが少しもなく、また、その履行の準備行為にも属しないものであることが明らかである。附言するに、右各証拠によれば、船積案内は、買主として貨物の到着日を予知せしめて、代金支払の準備を促すとゝもに、荷受の準備を容易ならしめるものであり、入港予定日の通知は、本船の陸揚港における滞船を避け、かつ、買主をして荷受の準備をせしめるにあることが認められるところ、そのこと以上に、法律上の効果を有するものでないというべきものである。右着荷案内についても、CIF約款による売買に関する限り、法律上の意味を持つものでないことは、右と同様である。

(三)  前記第六、(二)(ロ)認定のように、ドレイフアスは、契約番号四五号の履行として、昭和二六年六月二日前記モントリオール港でシーボードエンタプライズ号に右契約所定の大豆を船積したから、高島屋飯田、被告会社間において、高島屋飯田が契約番号五六号所定の大豆を右日時に右船舶に船積したわけであり、従つて、契約番号五一号中の一船分が前記アステリス号に船積されたわけであるが、証人近藤一雄(第二回)、飯田俊季(第一回)の各証言によれば、同年五月二〇日ごろ前記秋野享三が近藤一雄に対し代金支払の延期を懇請した結果、近藤が被告会社の支払の便宜をはかるため、前記契約による三船分中、他の二船に比し代金額の低い契約番号五六号につきまず船積せしめたことが認められ、右認定に反する証拠がない。かようなわけで、秋野、近藤間において、契約番号五六号分所定の大豆をさきに船積することにつき暗黙の了解が成立していたのであり、従つて、契約番号五一号分中の一船の船積期が右五六号分の船積期と振りかえられたものと認めるのが相当である。

(四)  およそ、双務契約の一方の債務者がその債務の履行を拒絶し、他方の債務者がその債務の履行の提供をしても無益に帰することが明らかである場合、当該債務者は、自己の債務につき履行の提供をすることを要しないものである。また、CIF約款による売買において、売主は、船積書類の提供により、契約の目的物の引渡をするものであることは、前述のとおりであるが、着船前、買主が貨物の引取を拒絶している場合、このまゝ放置するときは、滞船に伴い、無用の経費を生ずることが明らかであるから、いわゆる信義誠実の原則上、売主は、着船後、陸揚港、若しくは、もよりの港に陸揚したうえ、附近の倉庫に保管し、目的物の引取を求めることができるものというべきである。

本件において、前記第一〇、(三)に認定したように、被告会社は、昭和二六年六月二日本件売買契約は存在しない旨を表示し、前記売買の目的物の授受は、とうてい、望むことができない事情にあつたことが認められるのであり、前記第六、(二)、(ロ)認定事実に基けば、シーボードエンタプライズ号、ラカンブル号の船積書類は、同日から後、アステリス号の船積書類は、同年七月一四日から後に高島屋飯田に送付されたものと認めることができるから、同会社は、これを被告会社に提供して、その受領を求める義務がないわけである。

ところで、乙第一号証の三、丙第三号証には、右売買代金の支払条件として、「買主は、陸揚港における通関手続終了後、直ちに日本円表示の約束手形を売主あてに東京で振り出すこと、右約束手形は、積出人により振り出された輸入為替手形に対し売主のため、与えられたユーザンス支払期日の五日前に決済されるべきこと。」との記載があり、右文言によれば、前記売買代金は、遅くもユーザンス支払期日の五日前に現金で支払われなければならない旨の約束であつたものと認めるのが相当であり、弁論の全趣旨によれば、右支払期日が、シーボードエンタプライズ号積載分については、昭和二六年一〇月一一日、ラカンブル号積載分については、同月二七日、アステリス号積載分については、同年一一月二二日であつたこと、被告会社が右支払期日に右各売買代金を支払わなかつたことを認めることができるから、被告会社は、右期限の徒過とともに、その代金支払債務につき履行遅滞に陥つたものというべきである。

つぎに、前記第六、(二)、(ロ)認定のように、シーボードエンタプライズ号は、同年七月一九日横浜港に、ラカンブル号は同日四日市港に、アステリス号は、同年八月二九日横浜港に到着したのであつたが、成立に争のない丙第八九、九〇号証の各一によれば、高島屋飯田が、ラカンブル号を四日市港に入港せしめたので、京浜地区倉庫に余裕がなかつたゝめと、横浜港の荷役が混雑していたことによるものであること、同会社は、右各港でそれぞれ陸揚し横浜港に到着した、右二船の積載大豆を京浜地区倉庫にラカンブル号積載大豆を四日市港附近の倉庫に入庫し、保管したことが認められ、高島屋飯田が、同年一二月三一日書面で被告会社に対し、昭和二七年一月一〇日午後五時限り各物品と引きかえに、本件売買契約代金を支払うこと、若し右期間内に右代金が支払われなかつたときは、本件各売買契約を解除する旨の停止条件付契約解除の意思表示をし同意思表示が同年一月四日被告会社に到達したこと、被告会社が右催告期間内にその代金の支払をしなかつたことは、当事者間に争がないから、本件油五一号、油五六号の各売買契約は、昭和二七年一月一〇日午後五時の経過とゝもに解除されたわけである。

第十二結論

かようなわけで、高島屋飯田、被告会社間において参加人主張の日に本件各売買契約が成立し、これが参加人主張の日時に解除されたものであり、民事訴訟法第一八四条前段により、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤令造 田中宗雄 間中彦次)

目録

第一一、商品 米国産黄色二級品大豆。

二、数量 売主の随意で一〇%の増減許容条件で、一、〇〇〇キログラムを一トンとする九、〇〇〇トン積荷二口。

三、船積 一九五一年四、五、六月附船荷証券によるセントローレンス出航船舶積荷二口。

たゞし、いずれの国の船舶たるを問わない。

四、価格 CIF横浜港渡で一、〇〇〇キログラムを一トンとする一トンあたり米貨一六九ドル。

五、売主口銭 後日決定のこと。

六、重量、数量、分析 すべて合衆国船積港における証明書記載のとおりを最終とすること。

七、支払条件 買主は、陸揚港における通関手続終了後直ちに日本円表示の約束手形を売主にあて東京で振り出すこと。右約束手形は、積出人より振り出された輸入為替手形に対して売主のため与えられた銀行のユーザンスの支払期日の五日前に決済されるべきこと。

八、包装 貨物は、撤で引き渡されること。

九、保険 特担分損不担保条件による通常の海上保険を附ける。戦争保険は、できれば船積時期における条件で売主がカバーすること。戦争保険及び封鎖に対する保険料が二分の一%を超えるときは、買主の負担とすること。

一〇、不可抗力 封鎖、戦争、または、その結果、地方政府、中央政府または当局における輸出禁止その他の行為、海上事故、ストライキ、暴動、工場閉鎖、火災または売主の制ぎよし得ない理由により、売主側において、契約の全部若しくは一部が履行不能または遅延したとき、売主は、事情が許され次第、本契約またはその不履行の部分を、取り消し、または、履行することができる。

たゞし、当初定められた船積最終日から二ケ月以内に船積されなかつた数量に関しその契約を無効とする。

一一、通関の際、目的物につき起るべき輸入税賦課、障害、困難等は、すべて買主の負担、若くは買主が危険をおうこと。

第二一、商品 米国産黄色二級品大豆。

二、数量 売主の随意で一〇%の増減許容条件で、一、〇〇〇キログラムを一トンとする九、〇〇〇トン積

三、船積 一九五一年四、五、六、七月附の船荷証券によるセントローレンス出航船舶積荷一口。

たゞし、いずれの国の船舶たるを問わない。

四、価格 CIF横浜港渡で一、〇〇〇キログラムを一トンとする一トンあたり米貨一六五ドル。

五、第一、の五ないし一一と同様と定め。

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